マグリット 一瞬考えてしまう絵画という弱点

ルネ・マグリットは好きな画家だが、「大好き」かとなると保留したくなるところがある。

マグリットの最高傑作といえば、「光の帝国」で定まった感があるけど、私が一番好きなのは「ピレネーの城」(下図)だ。

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確かにマグリットのデペイズマンがもっとも成功しているのは「光の帝国」(下図)かもれしない。しかし私には,「光の帝国」は上品すぎておとなしすぎる気がするのと、もうひとつ手放しに賞賛できない理由がある。そのもうひとつの理由というのはマグリットの絵画全般にいえること、マグリット絵画の弱点かもしれない。

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何かというと、絵を見た瞬間、ほんのわずかな瞬間なのだが、その絵が何を表しているのか『考えて』しまうことだ。

たとえば「光の帝国」に描かれているのは、夜の住宅(あるいは街)と青空だけであり、それらそれぞれは、それと、すぐに察知できる。しかし「それが同時に描かれている」という認識は、その察知のあと、ワンテンポ遅れてから来るのだ。「あっ!『よく見ると』この絵ではありえないことが起こっている!」と。本当に瞬間的な思考時間なのだが。

それは下図の「不許複製」でも同じであろう。(これも私の好きな作品なのだが)

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このワンテンポのズレは、マグリットが頭で絵のアイデアを創る画家ということと対応しているように思われる。画家が「考えた」分量だけ、こっちも考えてしまう時間が、刹那にせよ発生してしまうのだ。ここが絵として弱いと思うのだ。しかし「ピレネーの城」はそうではない。この絵は見た瞬間、驚きを与える。だから私は「光の帝国」より「ピレネーの城」を上に置く。

私は絵は、見た瞬間、勝負がつくものだと思う。見た瞬間、人を黙らせてしまうものが最上のものであると考える。「よく見たら」いい絵だ、という成り行きも否定はしないが、その場合には、絵の本質である直感性が、なぞなぞを理解できた満足や、虚栄心、妥協などの感情にとって変わられていることが多い気がする。もちろんマグリットの絵を見たときの瞬間のズレは、そんな俗なものではないが。

絵は見たその刹那で勝負が決まるものだ。だから絵なのだ。音楽、映画、小説といった時間芸術のように時間の経過で味わうものではない。もちろん絵画とて、その最初の受けた味わいが時間とともに増していくということはあるし、時間芸術も冒頭の印象が大切であり、又ある一瞬が素晴らしいということもよくあるが、これは別の話だ。

しかし私も自作の絵画について「これ何が描いてあるの?」「何を表現しているの?」「この部分はどういう風になっているの?」と訊かれることがあり、そう訊かれると非常にがっかりする。しかし、料理の食べ方のように、見方を言葉で強制することなどできないし、もしかしたらそういう質問をする人も、ちゃんと何か言語外のものを感じてくれてはいるのだが、作者が目の前にいるものだから、何か言わないといけないと思ってしまい、つい口を開くとそういうありたきたりの挨拶的な言葉しか出ないということなのかもしれない。まあそう自分を納得させるようにしてはいるのだが、ひょっとしたら、何も感じないからそうでも言っておくしかないと思われてるのかもしれない・・・。

『第三都市 幻想画家:福本晋一ウェブサイト』
http://www7b.biglobe.ne.jp/~fukusin/



























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