私の絵画の方法~意味のあるデペイズマン

今年はマグリット展が開催されている。関西では京都でやるみたいだが、行くか微妙。マグリット大好きの私は、マグリットを何度も見ているのもあるが、マグリットほど原画と複製との差がない画家はいないからだ。いや、むしろ複製のほうがいい。

実物より複製のほうがいいというのは、シュールレアリズム系統の絵画にはよくあることだ。ダリなどは、自分で、実物より複製のほうが美しいと言っている。

これはシュールレアリズム絵画が、知的方法論による観念の産物であることに由来しているかと思う。シュールレアリズムは方法論やイメージが作品の核なので、単品制作であるところの絵画の工芸品的側面、つまりマチエールだのタッチだの素材だのには関心を示さない。マグリットはその最右翼であって、デペイズマン専門店店主である彼のマチエール、タッチはほとんど事務的、機械的なものに過ぎないと言ってもいい。

しかし私がマグリットから大きな影響を受けていることには変わりはない。何か体質的に近いものを感じる。ただマグリットのような純粋デペイズマンだけを描いて良い時代などとうに過ぎてしまった。これからはマグリット的デペイズマンにしても、それを目的とするのではなく、遺産、伝統として消化し、それを一手段として、次の次元に進まなくてはならないかと思う。

今の私の回答は、『意味のあるデペイズマン』だ。

意味があると言ったが、説明的になってはいけない。理屈っぽくなってはいけない。謎解き画面になってもいけない。あくまで絵画は感性だからだ。理屈に走るなら文章、あるいは実行動に赴くのが正論というものだろう。何かよく分からない、言葉で表現できないが、確かに何かの内容があると魂を直撃できるデペイズマン。それは頭の中で、あるいはスケッチブック上で、理屈でもって構成してもいいが、実際に作品化するか否かは、感性の最終審査を通過しなくてはならない。

画像


                 海 峡
         油彩 キャンバス F6号 31.8×41cm

頭でビジョンを考えながらも作品化する最終決定は感性の審査による。実はこれは現在の私の方法論でもあって、頭でいろいろデペイズマンを考えはするのだが、感性が「これもダメ。これも絵画じゃない。これも描く必要なし」と斬って捨てていくものだから、私は寡作に甘んじなくてはならなくなっている。こういうとき独自のタッチを持っててそれをベースにできる作家さんはいろんなものがどんどん描けていいなあなどと思ってしまうが、その方にはその方の生みの苦しみがあるのだろう。

『第三都市 幻想画家:福本晋一ウェブサイト』
http://www7b.biglobe.ne.jp/~fukusin/




























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