私の三島由紀夫論② 『豊饒の海』~書き続けることの暗喩としての輪廻転生

34歳、ボディービルによって肉体的自身を得た三島由紀夫は、結婚し、「血なまぐさい死」への欲望は消え失せたかのような健全なる日常生活を始める。

……と思われたが、『鏡子の家』を書き上げると、ふたたび逞しい若者を切り刻む妄想を前に打ち出しはじめたのである。しかも今度はシチュエーションが変わっていた。他者でなく、自分の肉体を切り刻むのだ。『鏡子の家』の翌年には、最後に刺し殺される若いヤクザを映画で主演し、さらに次の年には、切腹小説とでも呼ぶべき『憂国』を上梓する。自死への血なまぐさい匂いが立ちはじめる。

(※①から読まれる方は、「私の三島由紀夫論①『仮面の告白』~存在の証としての誕生と死」をクリックしてください)

『憂国』(三島35歳)
 ~日常(家庭)と死との融合

三島がボディービルを始めたのも当初は、ただ逞しい体になりたいという欲求のためだったのかもしれない。が、彼の場合、逞しい肉体を得れれば済むという問題ではなかった。逞しい肉体は物質にすぎず、それだけでは存在感の欠如という全的問題の解決には遠すぎた。彼が執着していたのは、逞しい肉体そのものではなく、死んでいる自分を生き返らせる方法としての『逞しい若者が血まみれになって殺される』という図を見ること、その血を浴びることにあったわけだから、逞しくなった今、他者を殺すことから、自らを殺すことへと(実際、そっちのほうが実行の可能性は近くにあるであろう)移行したのは自然であった。いや、幼いときから彼が「殺される王子」=英雄的死に憧憬を感じていたことから考えると、自分がそれの体現者となることのほうが最初から本命だったというべきだろうか。それは自分の消滅を意味するのであるが、同時に存在感を与えてくれるだろう唯一の方法でもあったことは、本稿の①で確認したとおりである。

しかし一方では、彼は「何としてでも日常を生きなければならぬ」とも考えていた。つまり日常か、死かの葛藤にさらされていた。『憂国』はそんな三島の葛藤を解決する理想を描いた短編である。彼は、長く対立要素であった「死への欲求」と「女(それも従順についてきてくれる女)」との共存を描いたこの作品を「エロスと大儀の融合」として「人生に期待する唯一の至福」と述べ、晩年までこの短編に「自分のすべてがある」と言い続けている。しかし、作品論的に見れば、最初から切腹する気でいる登場人物が、予定通り切腹するという作品だから、その暗い閉鎖的な雰囲気、迫力ある切腹描写などを是としても、それは官能小説の良さでしかないように思われる。おそらくそれは三島にも認識されていたのだろう。だから文庫版のあとがきに「現に銀座の或るバアのマダムは、『憂国』を全く春本として読み、一晩眠れなかったと告白した」などと先手を打ったのではないか。

しかし「鉄砲で殺されるならいい」と考えていた三島が、銃殺刑に処された叛乱将校を描かず、新婚ゆえ決起から外された人間のほうに自己を投影したことには留意が必要だ。決起に誘われなかった主人公の苦渋には、戦争で死なず幸福な結婚生活を営んでいる自分、武人として遅れてきた三島の焦燥が反映されている。そんな焦燥を、三島の愛する血まみれの壮絶死たる切腹が、一瞬にして挽回できるものとして扱われているのだ。こうなっては三島がこれ以降、切腹に憑かれてしまったのも、むべなるかなというものであろう。そして執筆活動のほうはといえば、マイホームへの忌避が通奏低音としてしたためられることとなる。『宴のあと』は、じじばばで生きる老後の空虚を厭った元料亭の女将が、料亭を再開するために離婚するという話であり、『美しい星』の家族は実は本当の家族ではなく、お互いよその星の宇宙人と思っていたことが最後に証明される。

さらに、父親というものを嫌悪した長篇が相次いで書かれる。『午後の曳航』は、栄光の死への希求を忘れてマイホームパパになった船乗り竜二が、父親こそもっとも悪い存在と考える十三歳の少年たちに処刑されてしまうというどこか童話めいた物語である。殺されることによって竜二は、人生の午後において、かつて夢見た死の栄光を手に入れ、少年たちが忌む「からっぽな世界」は竜二の血によって生気を得る。続く『絹と明察』では、父親ぶって自分の考えを社員、工員に押し付け、自己満足している会社社長を徹底的に揶揄する。この関西弁の社長の人物造型は、三島作品としては驚くほど俗であるが、同時に大変にリアルであるため、実際のモデルが三島の近くにいたことを思わせる。おそらく『仮面の告白』で「完璧な」までの「人間に対する愚かな信頼」を持っていたと書かれた兵庫県出身の祖父定太郎ではなかったか。この平民出の祖父を大名の孫である祖母は「蔑んでいた」と『仮面の告白』にはある。

三島は四十歳を迎える。英雄的な死――三島においてはすなわち血まみれになっての死という意味だが――を演じるには、残された時間は少なかった。それは、肉体だけでなく、性欲までも衰えるのが分かってくる年齢だからだ。彼が極度に老いを怖れたのはあまりに有名だが、死、切腹に対し、単に性的興奮に留まらず存在感の証までを見ていたのだから、性欲を失うという意味でも老いは恐怖であったのではないか。

かくて彼はついに切腹死の実行を模索しだす。しかし、現代社会に切腹の必然性がないことも分かっていた。

「武士には武士の徳目があって、切腹やその他の自決は、かれらの道徳律の内部にあっては、作戦や突撃や一騎打ちと同一線上にある行為の一種にすぎない。だから私は、武士の自殺というものはみとめる。しかし文学者の自殺はみとめない。日々の製作の労苦や喜びを、作家の行為とするなら、自殺は決してその同一線上にある行為ではあるまい。」(一九五四年『芥川龍之介』)

日本はすでに軍隊がなくなり、封建的な武の世界は遠くなってしまった。かくて、彼は「武」が存在しているのは、自衛隊だけであると考え、それに接近していく。しかし平時の軍隊、なかんずく専守防衛に徹する自衛隊には、やはり「死」などないのであった。ましてや、体験入隊の作家をして。

ゆえに彼は、自分の考えを反映できる軍隊、すなわち私兵組織を創らざるを得なくなる。しかし見事な制服を仕立て、隊員たちと自衛隊体験入隊を繰り返したところで、「死」がないことは同じであった。三島はやがて、左翼のデモが嵩じて自衛隊が治安出動するような事態になれば、自衛隊が現場に到着するまでの空白時間に、自分たち楯の会が左翼集団へ突撃するというような計画を大っぴらに標榜するようになるが、左翼や学生の運動は警官隊だけで押さえ込まれ、やがてデモ自体が下火になってしまう。もっとも三島が本気で左翼群集への肉弾突撃を考えていたかは疑問である。そもそも自衛隊の治安出動が非現実的すぎだし、乱闘であっては、最後に切腹したくても、それを実行できる状況を獲得できるか分からない。そんな不確定要素の多い争乱に身を投じるなど、彼の有名なにぶい運動神経、及び常に筋書き通りに行かなければ不安になる性格からしてありえなかったと思うのだ。比べて、十一月二十五日のなんと三島的なこと!

ともあれ、待っていても僥倖は訪れない。一気に飛躍するしか道はなかった。つまり「切腹死する物語」を自分で作り上げるのだ。こうして、切腹の後押し役として、天皇が借り出される。まさか殿様を借り出すわけにはいくまい。四十一歳のときの作品『英霊の声』でも、三島は、二二六事件を起こした将校たちに対し「想像の天皇」の口から「心安く死ね。その方たちはただちに死なねばならぬ」という命令を発させて、彼らを切腹させている。この「心安く死ね」は、作中かなり唐突な印象であるが、三島にとっての天皇の役目はここにあるのだから、唐突だろうとかまわないのだ。

実際「天皇」の概念は、晩年の三島において、唐突にクローズアップされたものである。『憂国』執筆の時点では、主人公夫婦が毎朝、ご真影に拝礼するという描写こそあるものの、その他言動を点検する限り、特に「天皇」に三島の関心は向けられていない。

とはいうものの、三島における「天皇」の存在意義が死の実行を命じる絶対者という性格にあると理解すれば、彼の「天皇」の原型は、彼の幼き日からあったことに気づかずにはいられないだろう。つまり、この論の①において触れた、空想世界で若者たちの処刑執行を司る『仮面の告白』の「私」である。三島に切腹を命じる絶対者であるところの天皇とは、空想の世界において絶対者であった少年三島なのだ。実際のところ、ひ弱な少年三島が逞しい青年を殺す妄想自体、殺す者と殺される者との二者がいて成り立っている。どちらが欠けてもこの構図はその運動を開始しないし、完成もされない。だから三島自身が殺される側に回ったとき、不可避的に殺す者、切腹という死に方の実行意義を保証する存在が外に必要になってくるのである。青白い少年が切腹の命令者であるというのは、『憂国』執筆の前に、彼が偽名で同人誌に発表した『愛の処刑』もそうである。『午後の曳航』で船乗り竜二に死刑を宣告する少年たちの首領も加えていいかもしれない。またヴァリエーションとして『英霊の声』で、二二六事件で処刑された青年将校や、特攻隊員の霊の口寄せとなった川崎という美少年もあげてもいいだろう。川崎少年は口寄せを終えた直後、何者かの曖昧な顔に変貌して謎の突然死をとげるが、この「曖昧な顔」というのは昭和天皇の顔であると三島は親しい人にもらしていた。「などてすめろぎは人となりたまひし(どうして天皇は人間となってしまわれたのか)」という呪詛を繰りかえした軍人たちの霊を乗り移らせただけに、さもありなんオチだが、ここには青白い少年と天皇がイコールである符号があるように思われる。実際、三島が最後に行った万歳三唱は「机にかじりついていながらも幸福であり絶対であったところの永遠の十六歳の三島由紀夫君万歳!」ということだったのかもしれないのだ。

かくて、「二十六歳の私、古典主義者の私、もっとも生の近くにいると感じた私、それはひょっとするとニセモノだったかもしれない」(『私の遍歴時代』)とされ、代わり戦争時代の政治的理屈が借り出され、それに沿って三島は切腹死まで突っ走ることとなる。

後付けの理由のために死ぬなんてことがありうるのか、という方は次の三島の文章を読んでいただきたい。

「ニヒリストは世界の崩壊に直面する。世界はその意味を失う。ここに絶望の心理学がはたらいて、絶望者は一旦自分の獲得した無意味を、彼にとっての最善の方法で保有しようと希むのである。ニヒリストは徹底した偽善者になる。大前提が無意味なのであるから、彼は意味をもつかの如く行動するについて最高の自由を持ち、いわば万能の人間になる。ニヒリストが行動を起こすのはこの地点なのだ。」(『新ファシズム論』)

本論で分かりにくいのは「存在感の欠如」に対する実感であろうが、中でもここが一番分かりにくいところかもしれない。このような考え方に至るほどの内面の空虚など、想像しにくいからだ。しかし、想像しにくいからこそ彼の死は理解困難だったはずだ。この論の①でも言及したが、彼がかろうじて現実感を持って生きてきたのは、現実の中ではなく、擬似の生、つまり小説のほうであった。実際、周囲もまた、彼の「行動」を現実的なものとして受け取ることはなかった。楯の会などにしても、あの最後の事件を迎える日までは、一般からは不気味な右翼団体などと思われたことはなく、有名作家のお遊びと見なされていたのである。後付けの架空の理由をさも昔からの事実であるように見せかけるというのは三島四十歳のときの短編『三熊野詣』などにも表れている。

結果として彼が晩年の五年間にしたことは、自己の存在感を得られる場所を、小説から現実(行動)の方へと、命と引き替えにして強引にシフトさせることであった。三島にとって現実の生は、死という一点のみにしか見出せないことはこの論の①で確認した。だから小説世界と現実世界の互換は、当然、命と引き替えでしか成立しない。彼が現実に赴く日は、不可避的に彼が死ぬ日であり、同時に小説を書くことが終わる日となる。だから彼が最後に書く小説は、書くことの終わりを決定づける小説でなくてはならなかった。


『豊饒の海』(三島40~45歳) 
  ~紙屑にされた大河小説

三島由紀夫最後の小説。それは作中の時間六十年、執筆に五年もの年月が予定された大作で、全四巻とし、二十歳での夭折を転生して繰り返す四人の人物を描くものとして構想された。

しかしなぜ輪廻転生なのであろうか?

この問いは文学的観点からすると当然の問いなのだが、三島研究史において、その答えはおろか、問いそのものがほとんど発されてこなかった。彼の死に方の不可解さが、この問いを不問にさせてきた感もなきにしもあらずで、もしそうなら、この二つの不可解は不可分のものであるのに違いない。輪廻転生というモチーフの選択は、作品を大長編に仕立てあげることを約束するものかもしれないが、三島の比喩力からして、切腹死準備の時間稼ぎ、あるいは最後の作品にふさわしい大作にするための口実などでは決してなかったはずだ。

三島は輪廻転生というモチーフに何を託したのだろうか。

まず、三島が作中内の客観的事実現象として輪廻転生を扱うつもりがなかったことは、「実は輪廻転生などなかった」というこの作品の結末自体が証している。実際、この結末は気まぐれにもたらされたものではない。主人公の輪廻転生は、巻を追うごとに疑われだし、その貴種性、及び背負うべき劇的なドラマも、徐々に衰弱していっているからである。この漸次下降性は明らかに意図的なものである。

この観点で各巻を鳥瞰的に追ってみよう。
全四巻の中で、単独でも小説として読めるのは、はっきり言って、一巻と二巻のみで、特に一巻『春の雪』は、大正初期の華族の悲恋譚として今もよく読まれ、単独で舞台化、映画化もされている。二巻『奔馬』は、主人公である右翼の少年のひたすらテロ行為を犯して自刃したがる猪突猛進性にはやや共感しがたいところがあるものの、主人公が大きな目的を持っているだけにドラマは存在し、読ませる力がある。テロ計画を密告し、主人公を牢につながせたのは誰かというところなどは読み物として面白い。

それが第三巻『暁の寺』となると、唯識論を始めとした思索と、戦後の日本社会、風俗の批判が中核のような感さえ受けはじめる。第三の転生者は、タイ王国の王女だが、彼女は主人公とはとても言えない。あまり日本語が話せないので台詞が少ないのもあるが、何よりその内面描写がゼロである。彼女自身のドラマは、最後に同性愛者であることが判明する以外は、ないに等しい。死に方もコブラに噛まれてという蓋然性も劇的さもない唐突なもの。しかも時間が経ってからの又聞きである。主人公は、全巻通じてのオブザーバーである本多繁邦に移行している。創作ノートでは本多が主人公になるような計画はなかったようだが、この広い世界の中で転生者が本多の前に必ず現れるという偏向な展開からして本多のほうに主人公性が移行していくのは必然であったといえよう。

ところがその本多は主人公性を付与されると、卑小な人物へと変貌していく。『春の雪』では、親友の逢引のために当時珍しかった自家用車を借りることに奔走したり、『奔馬』では第二の転生者の少年の弁護をするために判事の職を擲ったり、熱い行動力も見せていたのに、三巻に至ると、三島の嫌悪する「行為なき認識者」と決めつけられ、果ては「見る」ことでしか自己の存在を見出せない気質の戯画として「覗き魔」の趣味まで付加される。本多がやることといえば、転生者の証である黒子が王女にあるかどうかを見きわめるために覗き窓を別荘に作るほかは、輪廻転生の研究、自己の存在の問題に対する哲学的考察を並べ立てることしかない。

これが最終巻『天人五衰』となると、面白さが戻ってくる。だが、それは『天人五衰』という作品単独の面白さではない。あくまで前三巻の積み立て預金を受けての面白さ、『豊饒の海』全体としてある興味深さである。すなわち、最後の転生者は本物であるか否か、および輪廻転生とは何であったか、この大作の結末はどうなるのかとの解に突き進むスリルである。(もっとも相変わらずの戦後風俗の軽薄さ、老いの無様さ、行為なき認識者の醜さと、三島が嫌悪しようとしていたものの描写も盛りだくさんで、かなりげんなりするが) 岬の信号所員である身寄りのない少年、安永透が転生者であることを知った本多は、透を養子とし、夭折から守ろうとするが、この若き日の三島の分身である透は、この果報を受けるや、老いた三島である本多を「年寄りなんて穢い。臭いからあっちへ行け」「あれ、まだ生きてたの」と侮蔑し、暴力行為まで働いて苛めたおすようになる。もはや、貴種の気高いドラマは見る影もない。とは言え、転生者の証である黒子があり、本多の前に現れたことからしても、透が前三人の転生者であることは間違いない。つまり作中では透は「贋物」と呼ばれこそするものの、タイトルどおり、天人の超越性がここにきて、完全に衰えてしまったと解釈するのが妥当であろう。実際、登場したときから、透には腋に汗がたまりやすいという「五衰」の兆候が現れている。

なぜ、三島は、天人を最後に卑しめたのか? 最後に透を嘲る、血気いまだ健在の老女、久松慶子の言葉は天人の存在の否定ですらある。

「この世には幸福の特権がないように、不幸の特権もないの。悲劇もなければ天才もいません。あなたの確信と夢の根拠は全部不合理なんです。もしこの世に生まれつき別格で、特別に美しかったり、特別に悪だったり、そういうことがあれば、自然が見のがしにしておきません。そんな存在は根絶やしにして、人間にとっての手きびしい教訓にし、誰一人人間は『選ばれて』なんかこの世に生まれて来はしない、ということを人間の頭に叩きこんでくれる筈ですわ。」

三島文学の中で、もっとも力強く、もっとも感動的と言えるこの文章は、前三人の主人公の否定のみならず、小説の中に天人を見ようとする三島自身の否定にもなっている。(もっとも少し前の三島なら、「これは実に月並みな説教であったが」と地の文で書き足しそうな文章でもあるが)

しかし決定的な否定はラストシーンである。八十歳になった本多は、第一巻のヒロイン聡子と、その出家先である奈良、月修寺にて六十年ぶりに再会するが、そこで聡子はかつての恋人であり、本多の親友であった松枝清顕を、知らない、そんな人は最初からいなかったのではないかと言い放ち、本多を呆然とさせるのである。本多は、清顕がいなかったのなら、その生まれ変わりであったと思った者たちも、否、自分すらもこの世にいないのではないかと慄然とする。そのとおり、登場人物は皆いなくなったのだ!

「そのほかには何一つ音とてなく、寂膜を極めている。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。
庭は、夏の日ざかりの日を浴びて、しんとしている。……」


あまりに有名な『豊饒の海』の最終巻『天人五衰』の末尾であるが、すべての登場人物が、真っ白な光の中に溶解していき、最後の一行では、最後まで残った本多すら、すうっと消えていったという感覚を覚える。理論的に言ってもすべて消えなくてはいけない。なぜならこの結末は破綻しているからである。清顕がいなかったのなら聡子も誰もいてはいけないはずなのだ。

それでも、小説の中に生き残ったと言える人物がいる。ニセモノ安永透である。老女慶子から長生きを保障されるという侮辱を受けた透は、前三巻の主人公たちと同じく二十歳で死ぬ選ばれた転生者であることを証明しようとして自殺を図るが(透のような僥倖の快楽に溺れる人間が、こんなロマンチックな話を信じて自殺を図るとは思えないのだが、三島作品においては何が何でも夭折は美なのだから仕方がない)、失明はしたものの命はとりとめるのである。そして自らを美女と思っている狂った醜女と結婚して余生を送ることとなる。そのような惨めで滑稽な、現実の見えない主人公だけが小説の中に残り置かれる。死ななかったという意味では透は贋物であるとも言えよう。本物なら夭折に成功するはずだからだ。つまり『金閣寺』の結末と同じく、また現実と小説の入れ替えが最後に行われたのである! いや、今までも言及してきたが、結末における現実と小説の互換は、三島長篇のほとんどに言えるのではないか。

かように最後に輪廻転生は否定されたわけだが、最初から、三島の輪廻転生に対する感情はアンビバレントなものがあった。それは『奔馬』における次の言葉からも明らかだ。

「ひとたび人間の再生の可能がほのめかされると、この世のもっとも切実な悲しみも、たちまちそのまことらしさとみづみづしさを喪って、枯葉のように落ち散るのが感じられた。それは何かしら、悲しみによる人間の気品が本質的に損なわれるのを見る忌わしさにつながっていた。それは、考えようによっては、死よりも怖ろしいものであった。」

どうして、貴種の輪廻転生をモチーフにすると決めておきながら三島は、輪廻転生、いわば不死が「死よりも怖ろしいもの」などと言い出すのか? ここで、三島が「不死」を僭称するものとして『太陽と鉄』で定義していたものを思い出そう。それは「精神」である。三島が「精神」というとき、それは「肉体」と対峙する概念として登場してくる。つまり「精神」とは、「現実」に対しての「文学」のことをも言い表している。文学の中に生きるとは不死であることだと、三島は言いたいのだ。事実、小説家は、ひとつの小説の中に生き、そして死んでも、次の新作でまた生きることができる。(この場合の「死」とは主人公が作中で死ぬという意味ではない) つまり、小説を何作も書き続けること自体が、輪廻転生(不死)なのである。しかし小説家も現実に死ななければならない。文学の中に不死に生きているのに、肉体は消滅してしまわなければならないという理不尽!

これが、三島が輪廻転生を「死よりも怖ろしい」とする理由であり、書き続けて天寿をまっとうできない理由であった。つまり『豊饒の海』における「輪廻転生」は、小説家が小説作品を何作も書き続けることの暗喩なのだ。言い換えると、『豊饒の海』は、小説家が小説を書くことの輪廻転生的性質をそのままモチーフにした小説である。だから『豊饒の海』の最後に輪廻転生が否定されることは、作者にとって、書くことの終わりを意味していた。小説の中で本当に死ぬことができるならいざ知らず(放火した金閣寺と心中しようとしたものの最上階の扉が開かなかったため果たせなかった主人公を思い出そう)、そうでないなら作家は、現実に本当の死を受け入れる心理体制を整えなくてはならない。つまりそれは現実の生を生きることと同義である。そして「不死」を僭称する文学のほうは捨てるか、終わらせるかしなければいけない。『太陽と鉄』で「頑固に終わりを認識しない精神に終わりを認識させなければならない」との意志表明を行ったのもそういうことであろう。書き続ければ続けるほど、精神はおのれを不死=絶対だとの妄想におぼれてゆき、その妄想への固執度に比例して、現実の死は怖ろしいものとなっていく。だから、精神=文学は終わらせ、破壊しなくてはならない。実際、三島は遺言で、最後に自分は文学を捨てたから、戒名には「文」の字は不要、「武」の字を入れることと言い残している。(注:実際には入れられた)

三島の長篇のほとんど、いや彼の作家人生までもが、前半に築き上げたものを後半に破壊するという二部構成をとっているが、ここでもまた「生を阻むもの」が破壊されるという結末が繰り返されたわけである。『豊饒の海』における「生を阻むもの」。それは、彼の愛した「小説」、つまり「書くこと」であった。

こう考えれば、『暁の寺』での悪名高い唯識論の長広舌も、それほど難解なものでなくなるだろう。本多は、輪廻転生する主体とは六識、及び末那識も超えた究極の識、阿頼耶識であるとの認識に達するが、この作品においての阿頼耶識、すなわち転生する主体とは、作者の三島由紀夫自身ということで本稿の答と符号するからだ。けだし『暁の寺』における唯識論の展開が、一般論としての記述ではなく、「……と本多は理解した」と、作中人物の視点であるという相対性が終始、強調されているのもそのためである。

『豊饒の海』における阿頼耶識は、作者三島由紀夫のこと――。これは、考えてみればすぐ足元にあった答えである。なぜなら、「輪廻転生する」だけならともかく、「二十歳で死ぬ」などという具体的でマニアックな運命を誰が与えるのか。そんなことを考えるのは三島由紀夫しかいないではないか。

森羅万象の種子たる阿頼耶識である三島由紀夫が死ぬとき、世界(小説)も終わるであろう。事実、『豊饒の海』はすべてが消え去って終結した。実際の仏教の教えでも、輪廻転生は悟りが開けるまで繰り返されるのだとされている。悟りが開けたとき、輪廻転生は終わり、人は解脱する。壮烈な死を現実に生きようとすることが、三島由紀夫という男にとっての悟りであり、解脱であったという他はない。実際のところ、死の三か月前に成ったこの『豊饒の海』の結末の崩壊カタルシスは、自死への強い後押しとなったはずである。それほどまでに三島は「書くこと」の世界に生きてきたはずなのだ。(脱稿日は当然、自死の日に合わせられたが)

『豊饒の海』はまさに壮大な空虚であった。現実へと船出する準備期間の五年という歳月に合わせて仕立てられた作品だから、『豊饒の海』の一巻一巻は、そのときの彼の内的要請によって生れた作品ではなく、自己模倣だった。

『作家なんて、何十年もダラダラ書いてたってしょうがないですよ。スタンダールだって、ドストエフスキーだって、みんな短いですよ。十九世紀の作家で十五年書いてるひとなんて少ないんじゃないかな。ぼく二十五年書いてますよ。長すぎますよ。芸術的創造力なんて、グワーッと出るもんでね。あとはウソですよ。じぶんでじぶんをなぞってカツカツ生きてるんですね。勲章もらったりしてね』(『新潮』昭和四十六年一月臨時増刊、森本哲朗による死の二ヶ月前のインタビュー)

これはすでに多くの指摘があるが、『春の雪』は、『仮面の告白』の「私」と園子の美化であり、出家し、手の届かなくなった聡子に会おうとして、ついに命を落とす青年は、結婚してしまった園子と会いたがる未練がましい「私」の美しい文学的昇華である。かつての失恋の体験が止揚されているものの、現在書く直接的な内的必然はなかった。『奔馬』は彼の行動の先行模倣であり、『暁の寺』『天人五衰』の小説的魅力の欠如についてはすでに申し上げた。

本多という全巻通じてのオブザーバーこそ存在するものの、四つの物語は、最後の輪廻転生の全否定でしか関連性を持っていない。輪廻転生で関連づけられているのではないのだ。結果として最後にすべてを否定するためだけに、前の三巻は書かれたのである。『豊饒の海』の全体構成は、あたかも名探偵自身が犯人であるというトリックを使うために、その名探偵の活躍する作品を、事前に数作書いておくという技巧に似ている。(ちなみにそういう有名な四部作の推理小説が実際にある。しかもそのうちの1作を推理小説嫌いを標榜していた三島が読んでいる) 

実際のところ私には、今述べた全体構造のギミックを除けば、『豊饒の海』は内容がきわめて空疎に感じられる。学生時代、初めて読んだときもこの結末は、作者が小説執筆を投げ出してしまったという感想を持った。「すべてはなかったのだ」というこの小説の結末は、三島自身が『小説とは何か』で言ったように、十一月二十五日を現実とし、小説を「紙屑」としてしまうための結末だったのだ。ラストシーンが庭で終わっているのも庭が小説の暗喩となるからであろう。それはどちらも人工の自然(生)である。そしてその「庭」は彼が熱望した生命の輝きの比喩であるところの「光」に飲み込まれていった。安永透が小説世界の中に生き残ったのは、透がこれからも読まれ続けていくだろう小説作品なるものの暗喩であったからに違いない。ならば、透と結婚する自らを美女と思っている狂った醜女というのは、読者のことを表していることになろう。三島は最後のエッセイ『小説とは何か』でも小説の読者の姿を悪意的に描いている。(本多絹江という最終的な彼女の名は『本抱き寝』の意か?)

登場人物がすべて消えてしまった小説世界。それは、三島自身がもう文学の世界にいない、文学という命綱を自ら切断し、現実の世界に出て行ったという証であった。唯一、生の歓喜が感じられることが期待できると信じた流血の死を、今こそ、生きんとするために。

輪廻転生は終わった。『天人五衰』の原稿の最後に記された全巻擱筆の日、三島は、自衛隊市ヶ谷駐屯地へと向かっているはずである。「七たび生まれ変わり、国に報いる」と書された鉢巻をたずさえて。


結論、昭和四十五年十一月二十五日 ~貴種の矜持

政治的背景にまで創作があったこと、テレビで全国生中継されるだろう計算があったこと、および、言葉だけで成っている小説と違い、俳優の肉体という現実の媒介があるために三島が戯曲を好んだということをあわせると、比喩ではなく、彼の最期は彼の戯曲作品と言えるであろう。実際、当時の中曽根康弘防衛庁長官は「楯の会をどう思うか」と記者に問われ、いみじくも「宝塚少女歌劇を思い出す」などと言っている。瀬戸内寂聴氏のエッセイなどにも、その場にいた知り合いの自衛隊員をして楯の会の制服は「宝塚のような恰好」と言わしめたとある。皮肉なことに当の三島は宝塚歌劇含め、女性の男装を激しく嫌っていたが、それは、宝塚歌劇と自分とに近親性があったからだろう。宝塚歌劇との違いは本当に人が死んだということだけであり、そこに三島が死を添える理由もあったのだ。

さて、その最後の劇の筋書きだが、面会した自衛隊総監を縛り上げ(自衛隊の責任を曖昧にするために、いつまでも『乱入』と表現されているが、三島は総監に面会のアポイントをとって駐屯地内、及び総監室に入ったのである)、そこで「憲法改正=自衛隊が国軍になる」ためのクーデターを起こせとアジ演説を自衛隊員に飛ばすものであったが、その場でそのような行動を自衛隊員がすぐに起こすなどとは、さすがに三島も考えなかったに違いない。だから扇動の演説後、このような騒ぎを起こした責任を切腹してとり、それをして自己の訴えを残す。こういうストーリーとなった。上演自体は驚くほどうまくいった。しかし観客の反応は最悪であった。

バルコニーに仁王立ちになり威丈高に両手を腰にあて拳を振り回しては、反感も買おうというものだが、これこそ彼のやりたかった立ち居振る舞いなのであった。ほとんど指摘されたことがないが、これは、『仮面の告白』において遊動円木の上に君臨した野性児近江の姿そのままである。分厚い胸に張り付く制服。太陽にきらめく金ボタン(金鍍金の帽章)。腰に白い手袋の手をあてた立ち姿。拳闘選手のようなガッツポーズ。「俺と一緒に立つ奴はいないのか」という台詞まで、近江の「(遊動円木上で落としあいを挑んでくる奴は)誰もいないのかい?」という言葉とまったく同じだ。三島はそのときの近江を「こんなに美しい彼を見たことがなかった」と記している。しかし三島は近江のように、そこに集まっていた者たちから畏敬の念では見られず、自らが近江に挑む名乗りを挙げたときと同じように、ギャラリーから野次と嘲笑を浴びせられたのだった。正に「その人には、その人にふさわしいことしか起こらない」という彼がよく用いた箴言どおりになったという他はない。三十分を予定していた演説は、数分で中止せざるを得なかった。

演説の内容としては、自衛隊隊員を「武士」と呼び、彼らが「正規の軍隊になりたがっている。つまり憲法9条改正を切望している」という大きな誤認識もあったが、何よりも、あのようなとっぴな形でその主張の行われたことが、その政治的切実さの嘘であることを物語ってしまっていた。政治性があとからの付け足しなのはすでに見たが、ここまでこの作家の問題点を「存在感の欠如」にあると仮定して追ってきたわれわれにとっては、むしろ彼の最後の言葉における「日本」は、彼にとっての天皇が実は少年三島であったよう、それを「私」と読み替えたほうが合点がいく。いわく「こんな挙に出たのは私の根本がゆがんでいるからだ」「自衛隊こそが私を正せる存在なんだ」「戦後の私は経済的繁栄にうつつを抜かし」「私を私の真姿に戻してそこで死ぬのだ」。彼は日本を救うように見せかけて、本当は自分を救いたかったのではないのか。この置きかえは、有名な晩年のエッセイ『果たし得ていない約束』にも適用できるであろう。「私はこれからの私に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら私はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする」――「私がなくなる」――日本は三島自身と同義という仮説が正しいなら、彼の最後の行動の根幹にあったものが、存在感の欠如であったことは、理論的に証明されたといえるのではあるまいか。

ちなみに、英国のジャーナリスト、ヘンリー・スコット=ストークスの著書「三島由紀夫 死と真実」で述べられている、三島が言った「日本に呪いをかけてる緑色の蛇」の正体もこの観点で解けるかもしれない。つまり緑色の蛇とは彼自身にとりついているものである。そして、彼のどのエッセイであったか失念してしまったのだが、彼は神経疾患で苦しむ祖母を「蛇がのた打ち回っているようだった」と描写していたのだ。さらに緑色というのも祖母の病身の肌の色としてどこかで描写していた記憶がある。三島の祖母に言及した文章はいつも、祖母へのアンビバレントがあるように感じられる。「緑色の蛇」発言を口にするのに一瞬ためらったように見えたとストークス氏が言っているのもそれゆえではなかったか。

まとめに入りたい。彼はなぜあのような異様な死に方をしたのか?

そう、異様なのだ。異様であるからこそ、私にとってもそれはひっかかり続けきたものなのである。ならばまずはその異様さがどの部分に起因しているかを明確にしなくてはならないだろう。切腹という時代錯誤のしかも非常に苦しみを伴う死に方。あっけにとられるほどの場違いなクーデター要求。彼が世界的に著名作家であること。異様なファクターはいろいろある。しかし、何が一番異様かというと、あのぴっちりした制服を着た彼の演説の図であると私は思う。あの図がなければ、三島事件も半世紀に至る今日まで続くインパクトを保てなかったのではないか。音声付きで動いている映像のほうを見たら、野次と三島の舌のもつれで、意味不明の混乱の場としか見えないが、写真のほうは、生前の三島の写真のほとんどがそうであるように、ひとり本当に撮影会でもあるかのようにカッコよく写っている。三島自身、このように撮られる、そしてそれが残っていくことをはっきり狙っていたはずである。末永く他者の目を奪う、認知されるであろうその図――。私が三島事件に衝撃を覚え、今更このような文章をしたためたのも、幼少期、その事件を初めて私に教えた雑誌に、その写真があったからであった。それはニセモノ臭をプンプンとさせたものであったが、あの写真こそ、まぎれもなく、三島事件があった、彼が切腹という死に方をした、三島由紀夫がいたという決定的存在証明になっている。それは死に方の異様さというよりは、自己存在の証明方法の異様さと言えよう。

もちろん切腹も異様だ。しかし切腹自体は今でもたまに起こっているものである。地位的に伝統的なものを受け継いでいる人物にときおり見られる。しかしすでに申し上げたように三島の場合、その武士的地位は捏造であり、切腹まずありきだったのだから、三島の切腹について考えるには、伝統という慣習性より、「切腹」という行為そのものの持つ根本的力の原理を見据えなくてはならない。そこから考えるとこうだ。腹を深く切る激痛を想像することは、恐ろしさと同時に、単純に、切腹者の勇気を認めることにまずはなるだろう。切腹自体、元来が、武士の勇気を証立てるために考えられたものである。また同時にその激烈性をして、己が赤心を相手に分からせるためにも行われた(らしい)ものである。壮絶なるもの、恐ろしき激痛こそ何にもまして、人を黙らせる、認めさせることができるものなのだ。

ならば、三島は、この激痛をひき受けることによって、己が勇気を、そして真実性をどうしても自他に見せつけたかった、だから正午のニュース時間にあわせてテレビの、公衆の前に軍服の姿をあらわして見せる必要もあったのだというのが、まずは率直な解釈、あの過激性と『異様さ』に見合った同質同量の推測になるのではないか。

ではなぜ、それほどまでに、彼は、極限の勇気をもって真実性を見せつける必要があったのか? 

すでに見たように、凄まじい血まみれの死にのみ生を感じることができると思えたからでもあり、また、小説の中に生き続けることはできないという恐怖を克服するためでもあり、また、武人たる姿が自分の真姿、自分の現実であると自他に証明するためでもあったであろうが、これらをトータルして踏み込んで言うなら、とどのつまりは、

「存在感の欠如」という敗北性に、決して甘んじることができなかったため。――

これ以外に私には答えが見つからない。

「私には敗北の趣味が先天的に欠けていた」(『仮面の告白』)
「私は何よりも敗北を嫌った。」(『太陽と鉄』)


彼は死にたかった。これは彼が幼い日から「死」に魅されていたことからしても、また何より彼の作品全体から受ける印象からしても間違いない。正直、死の瞬間にこそ生が感得できると考えていたから死にたかったというより、ただひたすら死にたいという印象なのであるが、ただ、死にたかったにしても、彼は、「自殺はいや」(『詩を書く少年』)なのであった。それは彼が、同じ文学者である芥川や太宰の自殺に対して、再三尋常ならぬ嫌悪感を表明していることからも明らかだ。それは、弱さ、敗北の証だから。実際、三島が執着していた、逞しい若者を殺したいというサディズムも、勝利への意志でなくて何だろうか? 三島の場合、死への希求はあったが、それは自殺ではない、弱さの表出でも、敗北の結果でもない「殺される」死でなくてはならなかった。切腹が絶対者(天皇、殿様)に「命じられる死」であることはすでに申し上げた。「命じられる死」とはつまりは「殺される死」の一ヴァリエーションである。結局、ボディービル、及び成功した作家の持つ名声と経済力という触媒こそあったものの、「殺される王子」、すなわち英雄的な死を迎える美しい男、それに自ら化身するという解が、幼児期すでに選ばれていたという他はない。彼は少年時代、野生児近江への恋を、近江のたくましい肉体に強烈に嫉妬したために諦めたと『仮面の告白』につづっている。そのときから彼は「強くならねばならぬ」という意識にとらわれ、自らにスパルタ式訓練を課すようになった。その努力が、あの膨大な執筆量やボディービルなどをはじめとして、最期の日まで続けられたのである。

作品の中に民衆の愚かさ、日常生活の醜さを暴露し、揶揄し、軽蔑し続けてきた作家三島由紀夫。しかし、その根底には、自分だけが疎外される運命を担わせられてきた悲哀、屈辱、劣等感、嫉妬、焦燥がわだかまっていた。大名の血を引く祖母から貴族主義を受け継いだ三島は、平民に嫁がされた屈辱、孤独に甘んじられず、孫息子を息子夫婦からとりあげて、自分の思うように育てて補償しようとしたその祖母同様、存在感の欠如から派生する、すべての劣等感、敗北感に、決して屈することはできなかったのである。彼の死が今も、「自殺」でなく、武士的でむしろ勇敢な「自決」という言葉で表記され続けているのは、彼のひとつの達成であろう。

貴種、天人たる矜持――。

これこそ彼の特性の本質であり、宿痾であり、生を阻む固定観念である「美」への執着の中核であり、さらには彼の文学の魅力の源泉ではなかったか? これは三島由紀夫という人物固有のものでは決してない。人間普遍のものがある特殊環境において強烈な『軸』と化しただけである。

切腹という勇気ある方法をとった劇的政治的死は、彼にとって、問題をまとめて解決できる手段、存在感の奪取の期待も含め、すべてを勝利なものに転換できる起死回生の手段だったのだ。その逆転サヨナラ勝利の達成のためには、激痛も、狂気と見られることも、犯罪者と見られることも、嘲笑されることも、彼は甘受し、そしてすべてを犠牲にしたのである。

あの事件は、彼の祖母の苦を通じて発生したことからも分かるように、巨視的にみれば、日本の急速な近代国家化による歪みがもたらした事件といえるだろう。社会システムや価値観を急激に変えるためにどれだけ家庭がそして個人がひずみを受けているかは、日本で今も継続中の問題でもある。三島事件は近代日本人個人が受ける歪みをもっとも端的な形で象徴した事件と言えるかもしれない。けだし、日の丸、軍隊、制服、死の要求があの事件に表出されているのは偶然ではないのだ。三島由紀夫は彼自身それと知らず、近代日本のゆがみをその最期において視覚化してみせたのではなかったか。私は本稿において、終始、三島由紀夫の主張する政治論、及び三島事件の政治性については論じるに値しないものという立場をとってきたが、この観点においてのみは別である。いや、むしろこの観点にこそもっとも大事な部分、三島事件をもっと幅広く論じる本質、私含めた日本人にとっての今日の問題があるに違いないと考える。実際、近代日本という国家が国民に求めた一番の現実的行動は、「国のために死ね。すすんで死ね」ということではなかったのか? 今もなお!

しかし、それは後日あらためてとりあげよう。(※『日本因数分解論』)

それにしても、三島由紀夫は彼が目指したものを最後に得たのだろうか。『奔馬』の主人公のように、最後に光、つまり生の存在の輝きを見たのだろうか。しかし、ここまで考えてくると、それを問うことはどうでもよくなろう。そもそも彼自身が本気でそれが見えると思っていたかどうか疑わしい。なぜなら「無になるときそれは有であることが証明できる」という理屈は、生きている人間には不可知だからだ。当論の①の冒頭で提示した彼の命題の盲点を今こそ強調するが、三島が『太陽と鉄』の中に、自分がナイフで真二つに裂かれたときしか自分の存在を見ることはできないと書こうとも、それは生まれたときの光景を見たという主張同様、彼の自己申告に過ぎないのであり、おそらくは希望的観測、『仮面の告白』に何度も書かれた「自己欺瞞」、つまり必死の思い込みなのである。

われわれは皆、不可知であることをそうであると信じきって生きている。われわれは、いろんなことを盲目的にそうだと思い込んでいるだけである。だから空虚の深淵に落ち込まないですんでいるのだ。自分は存在していると思えるのだ。幼き日、自分という存在を無条件に認知されなかった三島には、その盲目的に思い込む能力が育たなかった。だから、しかと「見て」確認するしか道がなかった。すべて自分で見通せる小説という創作世界にしか生きることができなかった。だから、最期に現実世界に出て行くときには、思い込もう、盲目になろうと必死に努めることしかできなかったのである。

盲目的にそうだと思い込めなければ、確かに人生は耐えがたいに違いない。

            (原題:『輪廻転生の終わる日に』)
  
私の三島由紀夫論①『仮面の告白』~存在の証としての誕生と死

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