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zoom RSS 私の三島由紀夫論@ 『仮面の告白』〜存在の証としての誕生と死

<<   作成日時 : 2017/11/08 11:07   >>

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これから、私はなぜ三島由紀夫があのような「痛い」死に方をしたかについて、私なりの答をこのブログに、二回に分けて発表しようと思っている。「痛い」というのは文字通り「激痛の伴う」という意味だ。

三島がなぜ切腹という死に方をしたかについて、説得力ある説明をなした批評を私はいまだ知らない。大抵の批評は抽象的でまったく肉体的納得感をもたらさない結論に終わっている。

彼の死が説明しがたい理由は、通常の人間の感覚では分かりにくいポイントが秘められているからに違いない。そのポイントとは何か? 無論それこそ難問である。しかし、私は最近、学生時代によく読んだ三島由紀夫を読み返していたさい、そのポイントに対する重大なヒント、符号に気がついたのである。

それはまず、彼の晩年のエッセイ『太陽と鉄』を読んでいるときのことであった。

『太陽と鉄』は三島自身が「これをわかってもらえれば自分の行動はすべてわかってもらえる」と語った「告白と批評の中間形態」というエッセイであるが、難解ではあるものの、三島が「死の理由」をもっとも率直に語ったものと言っていい。そして、その内容を素直に受け止めるなら、どのような意味か即座には納得しかねるものの、「存在感を得るため」というのが彼の死の理由になっている。

私の気づいた符号というのは、このことではまだないのだが、とりあえずは、その部分を簡単にピックアップしてみよう。まず彼は、自衛隊体験入隊時の或る夕刻、営庭を横切ってひとりで宿舎に戻るときに感じた「万全の幸福感」を「どうしても書いておかなければいけない」こととして次のように記している。

「木々の木漏れ日の輝きににじんでくる憂愁の色と、そのすべてにふさわしいと感じることの幸福が陶酔を誘った。私は正に存在していた!」

ただ自衛隊の営庭を歩いているだけなのに、この「!」付きの快哉はなにごとか。さらにこのあと三島の筆は、この「強烈な幸福感をもたらす存在感は、いうまでもなく次の一瞬には瓦解した」として、その幸福な存在感を引き止める方法の考察に移行し、自分を林檎にたとえ、林檎の芯(自意識)が、「自分がまっとうな林檎であることを何とかわが目で確かめ」るためには、「外からナイフが深く入れられて、林檎が割かれ、芯が光りの中に、すなわち半分に切られてころがった林檎の赤い表皮と同等に享ける光りの中に、さらされること」しかないと断じ、最後に自分は「いわれない焦燥にかられて、いずれ存在を破壊せずにはおれぬほどに、存在の確証に飢えていた」として、次のように結論するのである。

「かくて私は、軍隊生活の或る夏の夕暮れの一瞬の幸福な存在感が、正に、死によってしか最終的に保証されていないのを知った」 (引用者注:軍隊生活と言っているが、これは上記の自衛隊体験入隊のこと)

これが、彼の自己申告した自殺(切腹)の理由であることは明白であろう。明らかにポイントは「存在感」に置かれている。それにしてもこのくだりは不可解ではある。いわばこれは「死ぬ瞬間(自分が切り裂かれた瞬間)を自分の目で見るときしか、自分の存在を確認することはできない」という論理なのだ。

とはいうものの、確かに、死は生に最大のリアリティを与えることができる。われわれは死ぬ存在だからこそ生きているといえる。だからもし彼が『太陽と鉄』に書かれたとおりの存在感を持てない人間であるのなら、「死ぬ瞬間を自分で見るときしか、自分の存在を確認することはできない」という精神的相対性理論とでも呼ぶべきものを信じ込んだのはむしろ自然な成り行きであり、これは「それが死ぬということは、それが生きていた証拠、存在していた証拠となりうる」とも翻訳できるであろう。「それが無になる瞬間、それは有であったことが自覚できる」でもよい。

「それが死ぬということは、それが生きていた証拠」――まるで子供が口喧嘩で言い張る屁理屈のようだが、理屈自体は正に違いはない。そして、私の気づいたことと言うのは、このロジックが、三島のある重要作品における、有名な不可思議な描写と関連づけられるということなのである。すなわち「それが無になる瞬間、それは有であったことが証明される」のであれば、もう片方の一点、「それが無から有になる瞬間」を自分の目で見た場合も、同じく有の証拠となるということだ。この主張をわれわれはどこかで読まなかったか?

「永いあいだ、私は自分が生まれたときの光景を見たことがあると言い張っていた」

言うまでもなく、三島を三島たらしめた実質的作家デビュー作である『仮面の告白』の冒頭である。この『仮面の告白』の冒頭の主張は、これまで幾多の解釈がなされてきたが、小説の本筋――同性愛と異性愛のことばかりが書かれた本筋――とどう関わりがあるかよく分からない記述である。しかし自己の存在を(見ることによって)確認すること、それが三島の生涯の悲願であったと考えるなら、三島の実質的デビュー作にして、彼唯一の私小説であるこの長篇が、この主張ではじまるのは理解に苦しむことでもなくなる。つまり、この『仮面の告白』の冒頭部の意味するところとは、存在感のもてない自分でも、生まれた瞬間なら自己確認ができたはずだから、なんとしてもそれを自分が見たと思いこみたいということではないのか。のみならず『仮面の告白』の結末は、書き手の「私」が、目の前にいる元恋人(女の)の存在も忘れ、近くに居た逞しい若者が、刃物で刺され、血まみれで死ぬという、三島自身の最期とほぼ同じ図である妄想に憑かれるというものであるから、彼のあの酸鼻な死に方は、デビュー作ですでに予告されていたという他はない。

以上の符号に気づいたとき、私は、「存在感の欠如」および「それが無になる瞬間、それは有であったことが自覚できる」という命題を足がかりにして、三島由紀夫の切腹した理由、のみならず彼の一生、ひいては彼の文学(とりわけ三島自身が、「本当の自叙伝は長篇小説の中にしか書いていない」と語った長篇小説群)までも解説できると思ったのである。

すでに三島由紀夫の根本にあった問題が「自身の存在感の欠如」にあったことは、心理学者の岸田秀氏や、三島自身と親交があった詩人の高橋睦男氏がすでにそれぞれの著書で述べていることではあるのだが、多くの人はこれについてピンとこないであろうかと思う。「存在感の欠如? 何だそれは? それこそ抽象的で曖昧な概念ではないか?」と言われる人もいることだろう。先ほども申し上げたように、三島の死の分かりにくさは、根本的に分かりにくい何かに根を発しているからだと推測されるため、「存在感の欠如」という精神状態も簡単には実感できないものだと予想できる。とりあえずその実感性については、おいおい拙稿を読んでいるうちにどういうものか明らかになってくると信じて、私はこれから、三島由紀夫がなぜあのような「痛い」死に方をしたのかについて、私なりの考察と答えを披露させていただこう。


『仮面の告白』 〜その死と同じラスト

まずは彼の幼少期から見てみたい。言うまでもなくそれは『仮面の告白』に詳しい。

その残酷なイメージのためか、今まであまり研究者、評者からまともに取り上げられてこなかったように思われるが、三島由紀夫の流血と死への希求は、早や『仮面の告白』の中にイヤというほど書かれている。彼は幼少の頃から、王子が殺される童話に魅されていた。また戦死している自分を空想することに「えもいわれぬ喜び」を見出した。殺される若者「聖セバスチャン」の絵を見て、初射精を経験し、ひいては逞しい同級生を刃物で血まみれに切り刻む妄想で自慰を行うようになる。この流血への渇望を三島は作中、自分は貧血症で血が足りないためだとしているが、貧血症自体が流血に対する性的興奮を喚起するわけでは当然ない。これは明らかに精神的な原因によるものであり、血液ではなく、ずばり生命感の不足によるものと考えるのが妥当であろう。血への飢餓と存在感の関係については、臨床心理学による解明も待ちたいところだが、スプラッター映画など血に興奮する人は皆何か、生き生きした感情に欠けている人が多いのではないかと疑われる節もある。三島由紀夫もまた、夥しい血、及び死(殺人)という極度に刺激的、決定的なものでしか生の興奮を感じられないほど、自己の存在感が希薄だったのではないか? 

なぜその死は「逞しい若者」でなければならないのか? それはそれが若さという生命の頂点にいる者だからだ。
なぜその死は「殺される」という形のものでなければならないのか? それはそれが最大のドラマチックな生であるからだ。
なぜその死は「血まみれ」でなければならないのか? それはそれが目で確認できる何よりの生きていた証であるからだ。

実にシンプルな話、生の頂点から血まみれの殺人死という凄まじい落差、その巨大なる落差が生む酸鼻なまでの壮烈性でしかその虚無を埋めることができなかったほど、彼は存在感の欠如にあえいでいたということではないのか? ならば、この力学を把握できるか否かが、三島の切腹死を理解できるかどうかの分水嶺である。 

彼が自己存在感を持っていなかったとするなら、それをもたらした原因が、あまりにも有名な彼の幼少時の環境にあることも言うまでもないことであろう。彼は生まれて四十九日目に、祖母によって両親の手から奪い取られた。祖母は孫息子を「檻の中の動物のように枕許から離さず」にいたという。生まれたての乳児にとって母親は、外界で初めて会う人間、最初にもっとも親しくなる人間、というレベルの存在ではない。母親自体が外界そのものなのだ。母親という外界に認知され、人は外界との一体感、すなわち存在感を獲得していく。人は、自分単独で、自分という存在を認識することはできない。乳児は生まれてから少なくとも三ヶ月は、そのようにひとりの人間(たいてい母親なわけだが)にねんごろに養育(認知)されなくては、自分が存在している感覚を持ちづらくなるという。

しかも三島の祖母は脳神経痛を患っていたので、大きな音や振動を嫌い、三島はひねもす大人しくしていることを強いられた。また大名の孫であり、少女時代には宮家である有栖川家へ行儀見習いに出されていたこともあるこの祖母は、行儀作法を厳しく三島にしつけ、孫息子の単純な自発性さえ強く抑えつけた。すなわち三島の祖母の場合、彼女が幼児三島を認知するというよりは、祖母が自分を孫息子に認知させようとしているといった呈なのである。むろん両親も、彼らの長男の認知をすることができなかった。結果、幼児三島は自分が生きているという感覚を持てなくなってしまった、と同時に、抑圧された自発性は、殺される死への憧憬という過度な攻撃性への固執という形で回帰したということではなかったか。

このような抑圧の結果するところも、祖母の暗い部屋が全世界だった幼児期まではよかった。三島自身、祖母のそばで大人しくしていることを「そうしているのが好きだった」、祖母の溺愛を「満更でもなかった」とし、普通に両親に育てられている妹と弟の腕白振りを「さして羨ましく思うでもなかった」と書いている。しかし、やがて彼は自己に存在の歓喜が欠けていることに気づかされ、大きな衝撃を受ける。それは『仮面の告白』の第一章の末尾、「それを見たとき、幼年時代が私から立去ってゆこうとする訣別の手を私は感じた」と記された、夏祭りの神輿が彼の家の前庭に雪崩れ込んでくるという事件によってであった。

「植込が小気味よく踏み躙られた。本当のお祭だった。私に飽かれつくしていた前庭が、別世界に変ったのであった。神輿は隈なくそこを練り廻され、灌木はめりめりと裂けて踏まれた。何が起こってるのかさえ、私には弁えがたかった。(中略)
が、唯一つ鮮やかなものが、私をおどろかせ、切なくさせ、私の心を故知らぬ苦しみをもって充たした。それは神輿の担ぎ手たちの、世にも淫らな・あからさまな陶酔の表情だった。……」


こんな激しい、暴力的な、集団の陶酔と歓喜の世界を、彼は初めて見たのだった。まったく自分の知らなかった世界。自分がそこからのけ者にされている「生命の横溢する」世界を。

ところで、この事件は、三島自身「何の力が、かれらをこのような衝動に駆ったのか」と疑問を呈しているように、われわれにとっても妙な印象を残す。なぜ神輿が人家の前庭に入ってきたのだろうか? 神輿は練りまわしながら、「左右に開け放たれ」た「唐草模様の鉄門」から入ってきたのである。この三島の生家の作りは、野坂昭如の『赫奕たる逆光 私説・三島由紀夫』にも詳しく書かれているが、「道に面して、鍛鉄の門、左右に石塀、足元は石畳で植え込みを囲み、玄関前まで敷きつめられている」とあるので、進入口は、やはり「鍛鉄の門(唐草模様の鉄門)」しかない。となると、興奮と陶酔のために誤って突入したとは考えられない。担ぎ手全員の合意が、最初からあったのではないか? これは私のまったくの推測だが、『仮面の告白』によれば、「本来ここは祭の道順ではなかった」ところを三島の祖母に「手なずけ」られていた仕事師の頭によって「迂路を敢てしながら」手配されたものとある。山の手の人間が道順を変えたことを知った担ぎ手たちが、「そんなにまでして見たいのなら」と仕返し的なことを考えたのではないか。つまり神輿の担ぎ手の行ったことは、少年三島を支配、抑圧している祖母への攻撃でもあったのだ。それであるからこそ、幼い三島にもこの事件は衝撃となったのではあるまいか? (しかも自分たちを攻撃してくるこの前庭の男たちの顔を三島が二階の露台=バルコニーから見たというのは何たる因縁か?)

ともあれ、この夏祭りの事件もまた、主筋とは一見関係ない事件である。しかし関係ない事件にしては思い入れの比重が大きすぎよう。となるとそれもまた、生まれたときの光景と同じく、この小説の核心であったに違いないのだ。

ならば、『仮面の告白』のあらすじを、あらためて確認してみる必要があるだろう。全体を俯瞰すれば、前半が、書き手である「私」の同性愛の記憶を中心とした幼少期の回想録で、後半が、青年期に達した「私」と園子との恋、及びその破綻という構成になっている。このような性愛指向の問題と、上述の誕生の記憶だの、神輿祭りの記憶がどう関連があるかの見極めは難しく、実際、この小説のあらすじを要約することが難しいのはすでに有名である。(優れた小説は要約で理解できるものでないことは当然だがそこはさておく)前半で、男性に性嗜好が向く「私」の歴史を読まされる読者としては基本、同性愛と異性愛のことしかこの小説には書かれてないため、同性愛者であることに異常性、疎外感を感じている青年が、ちょっと惹かれる女性とつきあってみたものの失敗し、やっぱり男のほうが好きだったと分かる物語なのだと答えてしまいそうになるが、そのような単純な話ではあきらかにない。そもそも、主人公の「私」は園子への愛の逡巡の理由として、自らの同性愛傾向を持ち出していない。

「女より男のほうが好きだけど、それは隠して女とつきあわなければならない」というなら話は単純である。また、「私は男と女とどっちが本当に好きなのだろう?」と煩悶するのも、まだ分かりやすい。しかし「私」はそのような苦悩は表明していない。『仮面の告白』のほぼ半分を占める第三章において「私」は、園子との恋について、ひたすら答えの出ない自問を抽象的表現や比喩を交えて延々と繰り返すばかりで、逡巡の正体はよく分からないまま小説は進むのである。

この園子との恋愛と破局が事実に基づいていることは、すでに詳しく知られている。三島と相手の女性は、婚約寸前まで行った。小説と同じく積極的だったのは、その家族もあわせて女性の側だったらしい。しかし三島が逡巡しているうちに戦争が終わると、女性は別の男性と結婚してしまった。『仮面の告白』では「私」が婚約を断っているので、実情は把握しがたいが、彼の逡巡が恋人を失わせしめたことは確実であり、その気質が彼自身を苦しめ続けたことが最重要であることは言うまでもない。

「私」の逡巡の理由は何だったか? それは最後に判明する。三島は短編では結末を、長編ではクライマックスを決めてから書くと何度も発言しており、ほとんどの作品を鑑みてもそれは明らかだが、『仮面の告白』においては、主人公が与太者の青年の血まみれで死ぬという妄想に浸っているときに園子の言葉に「ふしぎそうに」振り返ったその瞬間の描写こそがクライマックスであった。

この瞬間、私のなかで何かが残酷な力で二つに引き裂かれた。雷が落ちて生木が引裂かれるように。私が今まで精魂こめて積み重ねてきた建築物がいたましく崩れ落ちる音を聴いた。私という存在が何か一種のおそろしい「不在」に入れかわる刹那を見たような気がした。

私はここの部分を読むたびに、岡本太郎が自らの著述の序文に書いた『呪術誕生』の冒頭の部分を思い出す。

だれでも、青春の日、人生にはじめてまともにぶつかる瞬間がある。そのとき、ふと浮かびあがってくる異様な映像に戦慄する。それが自分自身の姿であることに驚くのだ。それはいわゆる性格とか、人格とかいうような固定したものではない。いわば自分自身の運命といったらいいだろうか。

つまり、『仮面の告白』は、何が自分にとって最大の生の手応えを感じれるものであるか、その追及、追認の書であり、そして自分の存在感を獲得できると期待できるのは、生(日常)、女ではなく、すでに自らが覚えているはずもない誕生の瞬間という過去か、あるいはその逆ポイントであるところの死、それも逞しい若者が血まみれに切り殺されるという過激な死を目の当たりにすることだという運命を自覚する、それが主筋なのだと言わざるを得ない。

実際こう考えてくると、『仮面の告白』の冒頭の、彼が生まれたときに見たという産湯の盥の縁に反射していた光、および、この小説の最後の一行、つまり血まみれに殺されることを想像させた逞しい若者のいた一団を、「私」が今一度振り返ったとき、誰もいなくなったその「卓の上にこぼれている何かの飲物が、ぎらぎらと凄まじい反射をあげた。」と書かれたふたつの光の意味も分かってこよう。それは、後年、自衛隊の営庭を歩いていたときの木漏れ日の輝きと同じく、存在感そのものであるところのもの、すなわち生命の輝きの比喩なのだ!

ならば『仮面の告白』の主題は、同性愛と異性愛の相克ではなく、存在感の欠如をめぐっての死と生の相克であるというほうが正確になるだろう。

「僕は人を殺したくて仕様がない。赤い血が見たいんだ。作家は、女にもてないから恋愛小説を書くようなもんだが、僕は死刑にならないですむように小説を書きだした。人殺しをしたいんだ、僕は。これは逆説ではなくって、ほんとうだぜ」(一九四八年 「序曲」同人との座談会)

この発言なども単純に殺人願望というより、上記の『惨殺される逞しい青年』というその図自体と自分を同一化したい欲望と解すべきだろう。『仮面の告白』ラストの与太者がそのときの主人公、つまり三島とまったく同じ「二十二、三歳の」と書かれているのは、その与太者が彼自身でもあった、あるべきであるからに他ならない。

『仮面の告白』は四章立てだが、一章の末尾は、先の神輿ショックであり、二章と三章の末尾は、それぞれ、「私は出発し、重い足を前へ運ばなければならない時期が来ていた。」、「あの人間の「日常生活」が、もはや否応なしに私の上にも明日からはじまるという事実だった」と、未来への重荷と、戦争が終わって日常生活が始まることへの恐怖で締められている。つまりは、中間の章はすべて、「普通」に生きる、「普通」に生きなければならない、そのことへの不安で締められているのだ。この日常生活への不適性への恐怖表明、日常生活に喜びを見出すことができない自己の性格的運命こそ、彼にとっての一位の問題であり、この小説のテーマではなかったろうか? 

彼は女性を好きにはなるのだが、女、日常生活というものに、存在を是認できるものを見出すことができないのだ。対して、たくましい男性が残酷に殺されるという感覚は自己認知できる。これは彼が「見る」という認知方法を『太陽と鉄』でも固執していることからも理解できよう。つまり、後者のほうには「見て」確認できるものがあるからである。つまり『仮面の告白』の第二章に執拗に描かれているところの勃起と射精である。

かくて、不安だらけの生の代用として、また、壮烈な死への憧憬への封印として、もうひとつの生を作ることを彼は始める。つまり小説を書く。「生」(異性と関係すること、あるいは壮烈な死を生きること)へ進む道は困難なことがもはや判明したのだから、彼はもはや、擬似の「生」を作るという道をとらざるを得なくなっている。まず手始めに、生へ赴いていけず、死と血にのみに歓喜を見出す男そのものが書かれるだろう。『仮面の告白』には主人公が小説を書くという描写はまったくないが、それはそこにはっきり存在している。つまりその小説を書いているという事実がそれである。書くことは死へ赴く衝動を食い止める事業であり、生き続けることへの固執として、ただひとつすがれる行為であった。いわば彼の命綱であったのだ。

こうして彼は、書くことによって生きていくことを決意する。『仮面の告白』に続く長篇『愛の渇き』、そして『青の時代』はそれぞれ、主人公の殺人行為と自殺(の暗示)で終わるものの、書かれた死は当然、本物の死ではない。彼は生き続けられる。死への憧憬は封印され続けるのだ。

のみならず、その成功は彼をして、「血なまぐさい壮烈な死」にしか存在感を見出せないと思えたはずの現実の「生」に、「健康的な」ありかたで再チャレンジすることを促すこととなった。有名な豪傑笑いが始まったのもこのときからで、これら自己改造の契機となったものとして、二十六歳、長篇『禁色(きんじき)』の第一部を書き上げたあとに赴いた世界一周旅行が彼自身により挙げられている。しかし、彼に一番自信を与えたものは、何といっても小説家としての成功であろう。これにより、彼は他者に「認知」され始めたのだから。


『禁色』『潮騒』『沈める滝』 〜美を体現する主人公たち

生への再チャレンジ意識は、『禁色』の第二部にも反映されている。『禁色』は、女に裏切られ続けてきた高名な老作家、檜俊輔が、女を愛さない同性愛者の美青年、南悠一を操って、自分をふった女たちに復讐するというやや荒唐無稽な物語である。この女への復讐というモチーフが、『仮面の告白』に書かれた失恋事件へのリアクションであることは言うまでもないが、第一部は、その復讐が成され、夫と悠一の同性愛の現場を目撃した鏑木夫人が自殺して終わるという異性愛に対する同性愛の優越をもって終了するものの、第二部は禁色ならぬ禁じ手と言っていい方法を使って、展開が逆転する。すなわち第二部の始まる前に三島は、異例の改定広告を雑誌に出して、鏑木夫人を生き返らせ、同性愛者であることを家族に密告され窮地に陥った悠一を、彼女に救わせたのである。このため悠一は、かつて老作家の片棒をかついで傷つけた鏑木夫人に対し、対母親的な愛情を抱くようにもなり、また作者の彼女に対する視線も同様の変化をきたしている。悠一が自分から離れていくことを知った老作家は、敗北を悟り、悠一に全財産を贈って自殺する。

この、芸術作品(悠一)が死すべき運命である作家から離れて独り立ちするという結末は、当初の予定どおりと思われるが、登場人物の蘇生という異例の采配からして、悠一が異性愛に傾いて終わるというプランは最初にはなかったはずである。なぜ「私はあとから文章を直すことをしません」と言っていた三島が、禁じ手まで使ってそのような修正を施したのか。それは、異性愛へ赴くことが、そのときの三島にとって必須の課題だったからではないか。つまり、『禁色』の結末には、三島自身の同性愛との訣別、母親的な女性への期待がこめられているのだ。実際、密告事件の渦中において悠一は、同性の愛人たちと縁を切っていくし、この後、三島作品から同性愛は消えたのである。さしずめ、悠一が老作家より送られた遺産を人生謳歌に使おうと決意するラストは、三島自身が小説で稼いだ金をそのように使うという決意でもあったはずだ。

太陽の下に飛び出して人生を謳歌しようとした三島は、文学上でも明晰な方向、つまり古典主義へと傾倒していき、「何から何まで自分の反対物」である『潮騒』を書き下ろす。それは『仮面の告白』とは反対に、主人公カップルの幸せな婚約に終わる。何の葛藤もない明るいこの作品は文壇には評価されず、三島自身もその欠点を認め、古典主義の熱は冷めてしまうが、それは彼にとって大した打撃ではなかった。『潮騒』は通俗的には受け、彼は押しも押されもせぬ流行作家の地位を築き上げる。この作品で初英訳もなされた。世界はいよいよ彼を認知する。

次に書かれた長篇『沈める滝』などは、成功した小説家による過去の思い出への鎮魂歌であろう。何に対しても感動しない主人公の土木技師城所昇が、作者自身の分身なのは言うまでもない。ダム建設が小説執筆の暗喩であることも論をまたない。ダム(小説)作りに従事しているかぎり彼は、自身の無感動も気にならないのだ。その恋人、不感症の人妻顕子は昇との交渉で喜びを知るが、昇が感動しないゆえに自分を愛したのだと知ったとき自殺する。彼と関係を持とうとする者は、彼の無感動さのゆえ、彼の元を去るしかないのだ。(顕子は自殺するより怒り出すほうが自然に思われるが)流れをせきとめるダムの下に沈んでしまう小さな滝は、文学に封じこまれて昇華され消えていく園子への失恋の思い出である。最後の昇の「丁度俺の立っているこの下のところに小さな滝があったんだ」という呟きには、成功した小説家の『栄光の苦さ』がこめられている。同時にそれを受けて、ダム見物に来た一人の中年女性に「あなたもそろそろお嫁さんをお迎えにならなくちゃなりませんね」と唐突な台詞を言わせて締めくくっているのは、三島自身が苦しい思い出を振り払い、生へ、女性と関係すること、結婚、つまり日常へと赴くことを本気で考え始めたからではあるまいか。彼がボディービルで肉体改造に取り組み始めたのも、この小説を書きあげた直後だった。


『金閣寺』 〜キンカクとキンニクと

そのボディービルの開始と同時に書かれたのが、『金閣寺』である。それは「生を阻むもの」をテーマとしている。「生を阻むもの」は三島文学の大きなテーマであった。『仮面の告白』もそうであるが、三島自身が処女作のひとつとしてあげた十三歳のときの作品『酸模』からしてそれだ。『酸模』において、少年を外で遊べなくした原因である脱獄囚、「おじさんにも坊やくらいの子供がいた。坊やが一番喜ぶことをしてやる」と言って刑務所に戻る脱獄囚は、十三歳の三島をついに手放した祖母でもあったに違いない。金閣もまた、主人公の溝口が女を抱こうとすると、突如あらわれ、妨害を行う。『仮面の告白』の最後でも、人妻となった園子と未練がましい逢瀬を重ねる「私」は、園子と起死回生の性関係を持とうと企んでいるように見えないこともないが(そうなら、この部分はのちの『美徳のよろめき』の種子なのだろう)、結局、逞しい粗野な若者の肉体が「私」の生=女との関係を持つことを阻む。『仮面の告白』と『金閣寺』は女への接近を何かに邪魔されるという点でまったく同じ展開なのだ。

ならば、「生を阻むもの=金閣寺=美=逞しい筋肉」という連続等式が成り立とう。「金閣を焼くこと」も「逞しい若者を殺すこと」も「生を阻むものを破壊すること」としてイコールである。この破壊衝動が、三島独自の、生の獲得=歓喜であることはすでに申し上げた。しかし、『金閣寺』を書いていたとき三島が現実でやっていたことは、男の肉体の破壊ではなく、それをわがものにすることであった。こう見てくると、さらに「金閣を焼くこと」と「逞しい他者の肉体を毀損すること」と「自分が筋肉を得ること」は、生に向かっての出口という意味で、シノニムであることがわかる。主人公の「いつかは必ずお前をわがものにしてやるぞ」という金閣に向かっての叫びや、日本海の荒波を見ながらの『金閣を焼かなければならぬ』という決意も、それぞれ「筋肉をわがものにしてやるぞ」、『筋肉を得なければならぬ』と読みかえてあまり違和感がない。というより、よりしっくりする。よく考えれば、『金閣』と『筋肉』は音さえ似ている!

金閣を焼くことと、筋肉の獲得がシノニムであれば、末尾の文章がおかしな表現になっているのも理解できよう。「一ト仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った。」とあるが、一ト仕事を終えて一服している人が「生きよう」とよく思うだろうか? これは、金閣を焼くという一仕事を終えた三島が、「さあこれからこのたくましくなった肉体で生きよう」と思ったからではないか。

つまり今まで小説で克服してきたものを、現実レベルでじかに克服せんと三島はし始めたのである。『金閣寺』はそのスイッチ時期に書かれた作品であった。この移行は、小説では三島の問題は克服できなかったことを明かしている。実際、傑作『金閣寺』にも、小説では完全なカタルシスは得られなかったことを証明してしまっている大きな欠点がある。それは金閣の実際に放火される理由が納得いくように書かれてはいないことだ。この小説を一歩ひいて俯瞰すると、「生を阻む」金閣を排除したいという葛藤の克服自体は別に「放火」などという暴力を行使しなくとも達せられるのではないか、自分の心の中の金閣を焼けばいいだけの話ではないかという疑問が頭をもたげてくるのである。三島もこれは思ったらしく、『金閣寺』の主人公に放火直前、行為は十分に夢見られたとして放火実行は徒爾ではないかとためらわせている。だが結局、「徒爾だから私はやるべきだった」と考えなおさせ実行させてしまう。この「徒爾だから私はやるべきだった」という理屈は弱い。それなら世間、世界への復讐として放火したという月並みな理由のほうが自分を世界に強く認知させる方法として説得力はある。自分の所有物であるならともかく、国宝に本当に放火するなら、放火という行為をしなければならない理由そのもの、つまり行為に跳躍する理由が描かれなくてはならない。『金閣寺』にはそこが書かれていないのだ。実際のところ、『金閣寺』の主人公が放火を決意する場面は、日本海の荒涼とした海を見ながらという風景描写だけのもので、ここでは突然、この主人公が紡いできた内面世界の描写や、観念的饒舌が沈黙してしまっている。

金閣に本当に放火するという跳躍の説明がない。――この部分があまりこの小説の欠点として感じられないのは言うまでもなく、金閣放火事件が実際にあった事件だからだ。「実際に金閣は燃やされた」という概念が読者にも共通認識としてあらかじめあるということは、主人公の放火への道が最初から開通していることを意味している。そういう意味では、『金閣寺』は、現実へ依存している小説であり、芸術作品としての自立性が弱い。なにゆえに現実への依存度が高いかは新たに説明するまでもないだろう。三島作品になぜモデル小説が多いかも。また、彼がなぜ最後に文学を捨てて現実行動に出たかも。

三島の狙いは、自分を支配するものを乗り越えることそのものより、乗り越える手段としての「放火」という暴力行為の実行そのもののほうに有ったのだ。むしろ三島の本音は、「ショッキングな破壊、暴力行為を実行することこそ徒爾ではなく、生の実存だ」というところにあったのではないか。けだし『金閣寺』の主人公が幼少期、嫉妬とあこがれの対象とした年上の少女の名前が「有為子」であったことはそれゆえであろう。中村光夫をはじめ、最後の放火行為の部分はなくてもいいのではないかという意見が『金閣寺』には多いが、破壊行為は断じて行われなければならなかったのである。それ以外に、彼が「生を阻むもの」を克服する方法、つまり生の実存を感じる方法はなかったのだから。

行為こそが重要。それならば、主人公が荒涼とした海をただ見ながら放火を決意したこともそれほどおかしくないことになるだろう。つまり荒涼たる海は、そのまま、三島の内的風景なのだ。このモノクロームの世界に、血、もしくは火、といった生命の色彩たる赤がほとばしらなくてはならなかったのである。これは、のち『午後の曳航』で、海を捨てた水夫を殺すさいに少年の首領が言っていることでもある。

ともあれこの時点では、三十一歳の青年はなおも「生きようと思った」のである。ボディービルによって立派な男の肉体を持った三島は、『金閣寺』脱稿のあと、スポーツの世界に飛び込み、結婚し、家を建て、子供ももうける。「日常生活」を「生きよう」とするのである。


『鏡子の家』 〜マイホームパパになることへの拒絶

冒頭で「みんな欠伸をしていた。」「これからどこへ行こう」と言いながらも、結婚生活に入ったときに書かれた千枚の大作『鏡子の家』は、彼のマイホームへ入る意志の反映である。この作品において彼は、芸術家、俳優、ボクサー、会社員と四人の自己の分身をえがき、自分が青春を生きたことを今一度再確認すると同時に、青春と訣別しようとしたのだと思われる。結婚時に青春の終わりを意識することは、珍しいことでもないだろう。一年三ヶ月ものあいだ、この書き下ろしの大作に専念したことを彼は、西洋かぶれの自分が西洋作家の制作ペースを真似たのだと語っているが、実際、彼が専心したかったのは結婚生活ではなかったか。

しかし、『鏡子の家』はあまり評価されず、どころか失敗作の声まで聞かれるものとなった。評価が低くなった第一の理由として、四人の青年のあいだの葛藤の欠如がよくあげられる。三島自身が四つの青春を平行して同時に生きるのが目的だったから四人を争わせる必要を感じなかったのであろうが、この欠陥は明らかであろう。しかし失敗の根本原因は、彼が自分の現実の生の濃度を最高にあげようとしたために生じた。その反作用として、小説は小説としての力を必然的に失ってしまったのだ。現実に生きられないから小説を書くという彼の創作原理では不可避的にそうなる。

ともあれ、四人の青年たちの憧れであった鏡子を、平凡な結婚生活、マイホーム生活に戻すという結末をつけたことが、三島自身のマイホームに入らんとする決意の反映であったのは確実である。作中、鏡子の良人を呼び戻し、鏡子の家を再びマイホームに戻そうとしたひとつの力が、鏡子の幼い娘であったことも、それを裏付けている。最終章など、三島作品らしからぬ明るさであり、アメリカのホームドラマのようでさえある。何より最後の鏡子の言葉は、明らかなマイホーム宣言である。

「あさってからは、ここはもう鏡子の家じゃないわ。世間のどこにでもある親子三人の家庭がどっしりと根を据え、誰も好き勝手な時間に来ることはできなくなり、私は朝、良人を勤めに、子供を学校へ送り出してから、PTAの奥様附合でもはじめることになるでしょう(中略)私はもう病気から治ったの。(中略)私がこれから信じることにした神様の顔を見て頂戴。赤いらんらんとした片方の目には服従と書いてあり、もう片方の目には忍耐と書いてあり、大きな二つの鼻の穴からは煙が出ていて、その煙が中空に希望という字を描き、だらりと垂れた大きな舌は食紅を塗ったように真っ赤で、そこには幸福と書いてあって、咽喉の奥には未来という字が浮かんで見えるの」

筆は驚くほど上滑りしている。鏡子の決意を楽しく描写しながら、それを蔑視しているようにも見える。鏡子の良人が犬を連れて帰ってくる最後の一行を読まされると、その疑念はさらに大きくなる。

「七疋のシェパァドとグレートデンが、一どきに鎖を解かれて、ドアから一せいに駆け入って来た。あたりは犬の咆哮にとどろき、ひろい客間はたちまち犬の匂いに充たされた。」

三島は犬でなく、大の猫好きであった。その理由として、猫が忘恩の徒であるからと書いている。ならばこの犬たちが、その正反対のもの、三島の厭うものの象徴であったことは想像に難くない。それはマイホームに鎖をつけて飼われているもののシンボルなのだ。ならば、鏡子がマイホームに回帰するラストには、作者図らずともアイロニーがこめられてしまったと考えるほうが自然だろう。彼は、家庭を持ったものの、いつかマイホームパパであることを拒否するだろうことを、ここで告白してしまったのだ。のち、死の二年前、『鏡子の家』について「自分は今川の中に赤ん坊を捨てようとしている。皆とめないのかというんで橋の上に立っているんですよ。誰もとめに来てくれなかった。それで絶望して川の中に赤ん坊を投げ込んでそれでおしまいですよ。僕はもう」と言ったのもこの意味だったのに違いない。

しかし現実の生の濃度が高まったなら、小説は失敗してもいいではないか。彼の小説を書く理由からすればそうなるはずなのだ。やはり、マイホームでは飢餓は癒されず、血と死にしか生の実感を見出す期待がもてなかったということになるのか? 

そうなのだろう。彼は『鏡子の家』を書き上げたのち、ふたたび逞しい若者を切り刻む妄想を前に打ち出しはじめるのである。しかも今度はシチュエーションが変わっていた。

私の三島由紀夫論A『豊饒の海』〜書き続けることの暗喩としての輪廻転生 に続く。

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