『仮面の告白』存在の証としての誕生と死、『豊饒の海』何作も書き続けることの暗喩としての輪廻転生~私の三島由紀夫論

三島由紀夫はなぜあのような異様な死に方をしたのか。それが説明しがたい理由は、そこに通常の人間の感覚では分かりにくいポイントが秘められているからに違いない。そのポイントとは何か? 無論それこそ難問である。しかし、私は最近、学生時代によく読んだ三島由紀夫を読み返していたさい、そのポイントに関係すると思われるある重大な符号に気がついた。まずはそれから述べさせていただこう。

それは彼の晩年のエッセイ『太陽と鉄』を読んでいるときのことであった。『太陽と鉄』は三島自身が「これをわかってもらえれば自分の行動はすべてわかってもらえる」と語った「告白と批評の中間形態」というエッセイで、難解ではあるが、三島が「死の動機」を率直に語ったものと言っていい。そしてその内容を素直に受け止めるなら、「存在感を得るため」というのが死の動機になっている。

ピックアップしてみよう。まず彼は、自衛隊体験入隊時の或る夕刻、営庭を横切ってひとりで宿舎に戻るときに感じた「万全の幸福感」を「どうしても書いておかなければいけない」こととして次のように記している。

「木々の木漏れ日の輝きににじんでくる憂愁の色と、そのすべてにふさわしいと感じることの幸福が陶酔を誘った。私は正に存在していた!」

ただ歩いているだけなのに、この「!」付きの快哉は何事か? そしてこのあと三島の筆は、この「強烈な幸福感をもたらす存在感は、いうまでもなく次の一瞬には瓦解した」として、その幸福な存在感を引き止める方法の考察に移行し、自分を林檎にたとえ、林檎の芯(自意識)が、「自分がまっとうな林檎であることを何とかわが目で確かめ」るためには、「外からナイフが深く入れられて、林檎が割かれ、芯が光りの中に、すなわち半分に切られてころがった林檎の赤い表皮と同等に享ける光りの中に、さらされること」しかないと断じ、次のような自己確信に達するのである。

「(私は)いわれない焦燥にかられて、いずれ存在を破壊せずにはおかぬほどに、存在の確証に飢えていたのである」

これが、彼の自己申告した切腹の理由であることは明白であろう。明らかにポイントは「存在感」に置かれている。それにしても不可解ではある。なぜならこれは「死ぬ瞬間(自分が切り裂かれた瞬間)を自分の目で見るときしか、自分の存在を確認することはできない」という論理になってるからだ。

しかし確かに、われわれは死ぬ存在だからこそ生きているといえる。だからもし彼が存在感を持てない人間であったのなら、死ぬ瞬間、その証拠を自分で「見る」ときしか自分の存在を確認することはできないという相対性理論を信じ込んだのはありうることであり(死の証拠を自分で見ることが重要なので首つりとかはダメである)、この理論は「それが無になる瞬間、それは有であったことが確認できる」と翻訳してもよかろう。そして、私の気づいたことと言うのは、このロジックが、三島のある重要作品における、有名な不可思議な描写と関連づけられるということなのである。すなわち「それが無になる瞬間を見るとき、それが有であったことが証明される」のであれば、もう片方の一点、「それが無から有になる瞬間」を自分の目で「見た」場合も、同じく有の証拠となるということだ。この主張をわれわれはどこかで読まなかったか?

「永いあいだ、私は自分が生まれたときの光景を見たことがあると言い張っていた」

言うまでもなく、三島の実質的デビュー作である『仮面の告白』の冒頭である。この『仮面の告白』の冒頭の主張は、これまで幾多の解釈がなされてきたが、小説の本筋――同性愛と異性愛のことばかりが書かれた本筋――とどう関わりがあるかよく分からない記述である。しかし自己が存在していることを「見て」確認すること、それが三島の悲願であったなら、彼唯一の私小説であるこの長篇が、この主張ではじまるのは理解に苦しむことでもなくなる。のみならず『仮面の告白』の結末は、書き手の「私」が目の前にいる元恋人の女性の存在も忘れ、近くに居た見も知らぬ、腕に牡丹の刺青をいれた逞しい若者が刃物で刺され血まみれで死ぬという、三島自身の最期とほぼ同じ図である妄想に憑かれるというものであるから、彼のあの酸鼻な死に方も、ここで予言されていたという他はない。(ちなみに三島も死の直前、唐獅子牡丹の刺青をしようと考えていたらしい。その代わりか、市ヶ谷に向かう車の中で「唐獅子牡丹」を歌っている)

以上の符号に気づいたとき、私は、三島由紀夫があの異様な死に至った過程が、彼の人生と創作史とあいまって一望に見えてきた気がしたのである。

三島由紀夫の根本にあった問題が「自身の存在感の欠如」にあったことは、心理学者の岸田秀氏や、三島自身と親交があった詩人の高橋睦男氏がその著書で述べていることではあるのだが、多くの人はこれについてピンとこないであろう。とりあえずその実感性については、おいおい考察を進めていく中で明らかになってくると信じて、私なりの考察と答えを披露させていただこう。


『仮面の告白』論(三島24歳)
  ~存在の証としての誕生と死

まずは『仮面の告白』。それは上述した通り、三島由紀夫のデビュー作であると同時に、彼の幼少期からの問題が詳述されたものでもあり、三島由紀夫の流血と死への希求は、そこにすでに、イヤというほど書かれている。彼は幼少の頃から、王子が殺される童話に魅され、戦死している自分を空想することに「えもいわれぬ喜び」を見出し、殺される若者「聖セバスチャン」の絵を見て、初射精を経験し、ひいては逞しい同級生を刃物で血まみれに切り刻む妄想で自慰を行うようになった。この激烈さ、凶暴さへの強い憧憬は、まさに生命感不足の反動と考えるのが妥当であろう。彼は『仮面の告白』執筆の直前にこんな発言もしている。

「僕は人を殺したくて仕様がない。赤い血が見たいんだ。作家は、女にもてないから恋愛小説を書くようなもんだが、僕は死刑にならないですむように小説を書きだした。人殺しをしたいんだ、僕は。これは逆説ではなくって、ほんとうだぜ」(一九四八年 「序曲」同人との座談会)

実際、「血だ、血だ」とスプラッター映画などに興奮する人は、生き生きした感情に欠けているイメージもある。自分よりも高いところにいる他者、自分に持ってないものを所有している他者を、自分のレベルまで引きずり下ろしたいという嫉妬がサディズムであるなら、逞しい青年に『死』を与えることは、存在感のない、死んだような自分のレベルまで相手を引きずり下ろす喜びであり、そのとき流される血は、それを浴びる者にも生命感、つまり存在感を等分してくれるものなのであろう。もっとも生命力にあふれている逞しき美しい青年が、血まみれに殺されて死すという落差が生む強烈なインパクト。この過激の力こそ何とか死んだ自分に生命感を与えることができるはずのものなのであり、けだしこの殺人劇は、三島にとって、存在感のない、死んでいる自分を生き返らせる唯一最高の方法なのである。

彼が自己存在感を持てなくなった原因が、彼の幼少時の環境にあることは誰もが直感できよう。彼は生まれて四十九日目に、祖母によって両親の手から奪い取られた。祖母は孫息子を「檻の中の動物のように枕許から離さず」にいたという。祖母は脳神経痛を患っていたので、大きな音や振動を嫌い、三島はひねもす大人しくしていることを強いられ、遊び相手は祖母が選んだ近所の女の子だけであった。また少女時代には宮家である有栖川家へ行儀見習いに出されていたこの祖母は、行儀作法を厳しく三島にしつけ、孫息子の単純な自発性さえ強く抑えつけた。祖母が孫息子を奪いとった理由は、『仮面の告白』に書かれたように、大名の孫娘でありながら平民に嫁がされたことや(祖母は祖父を卑しい出として蔑んでいたとある)、病気を夫から移された恨みなどの蓄積からくる不満が、一人息子(三島の父)を奪った嫁に対する嫉妬となって爆発したためかもしれないが、それにしても常軌を逸している。しかしさらに解せないのは三島の両親が同居していながら意に反してにしろ、祖母に従っていることである。両親の無為が彼の存在感の希薄さに拍車をかけたのは疑いもない。

このような歪んだ環境も、それが全世界だった幼児期まではよかった。三島自身、祖母のそばで大人しくしていることを「そうしているのが好きだった」と述べ、普通に両親に育てられている妹と弟の腕白振りを「さして羨ましく思うでもなかった」と書いている。しかしやがて彼は自己に存在の歓喜が欠けていることに気づかされ、大きな衝撃を受ける。それは『仮面の告白』の第一章の末尾、「それを見たとき、幼年時代が私から立去ってゆこうとする訣別の手を私は感じた」と記された、夏祭りの神輿が彼の家の前庭に雪崩れ込んでくるという事件によってであった。こんな激しい、暴力的な、集団の陶酔と歓喜の世界を、彼は初めて見たのだった。

「植込が小気味よく踏み躙られた。本当のお祭だった。私に飽かれつくしていた前庭が、別世界に変ったのであった。神輿は隈なくそこを練り廻され、灌木はめりめりと裂けて踏まれた。何が起こってるのかさえ、私には弁えがたかった。(中略)
が、唯一つ鮮やかなものが、私をおどろかせ、切なくさせ、私の心を故知らぬ苦しみをもって充たした。それは神輿の担ぎ手たちの、世にも淫らな・あからさまな陶酔の表情だった。……」


ところで三島自身「何の力が、かれらをこのような衝動に駆ったのか」と疑問を呈しているが、なぜ神輿が人家の前庭に入ってきたのだろうか? 野坂昭如の『赫奕たる逆光 私説・三島由紀夫』によればこの三島の生家は、「道に面して、鍛鉄の門、左右に石塀、足元は石畳で植え込みを囲み、玄関前まで敷きつめられている」とあるので、進入口は「鍛鉄の門」しかない。となると興奮と陶酔のために誤って突入したとは考えられない。担ぎ手全員の合意が、最初からあったのではないか? 『仮面の告白』によれば、「本来ここは祭の道順ではなかった」ところを三島の祖母に「手なずけ」られていた仕事師の頭によって「迂路を敢てしながら」手配されたものとある。上述の通り三島の祖母は支配欲が強く、他人を「手なずけ」はするが、対等につきあうことのできるタイプではなかった。そういう噂はある程度広まっていただろう。そこで、神輿の担ぎ手たちが「そんなにまでして見たいのなら」と意地悪なことを考えたのではなかったか。もしそうなら、それは少年三島を支配、抑圧している祖母への攻撃でもあったということになる。いやそうであったからこそ、幼い三島にもこの事件は衝撃となったのではあるまいか? しかも自分たちを攻撃してくるこの前庭の男たちの顔を三島が二階の露台=バルコニーから見たというのは何たる因縁か? ともあれこの事件もまた、主筋とは一見関係ない事件である。しかしそれにしては思い入れの比重が大きすぎよう。となるとそれもまた生まれたときの光景と同じく、この小説の核心であったに違いないのだ。

ならば、『仮面の告白』のあらすじをあらためて確認してみる必要があるだろう。全体を俯瞰すれば、前半は、書き手である「私」の同性愛の記憶を中心とした幼少期の回想録で、後半が、青年期に達した「私」と園子との恋、及びその破綻という構成になっている。基本、同性愛と異性愛のことしかこの小説には書かれてないため、この本のあらすじは、同性愛者であることに異常性、疎外感を感じている青年が女性とつきあってみたものの失敗し、やはり男のほうが好きだったと分かる物語なのだと答えてしまいそうになるが、そのような単純な話ではあきらかにない。そもそも主人公の「私」は、女性への愛の逡巡の理由として、自らの同性愛傾向を持ち出していないのである。「私」は、恋の迷いについて、ひたすら答えの出ない自問を抽象的表現や比喩を交えて延々と繰り返すのみである。

園子との恋愛と破局が事実に基づいていることは、すでに詳しく知られている。三島と相手の女性は、婚約寸前まで行った。(三島はまだ学生だったが、戦争中は適齢期の男子が激減していたため、女性側が家族含めて結婚を急ぐことがあったようである)しかし三島が逡巡しているうちに戦争が終わると、女性は別の男性と結婚してしまった。『仮面の告白』では「私」が婚約を断っているが、彼の逡巡が恋人を失わせしめたことは確実であり、その気質が彼自身を苦しめ続けた元凶であることは疑う必要もなかろう。

「私」の逡巡の理由は何だったか? それは最後に判明する。三島は結末を決めてから小説を書くと何度も発言しており、作品をみてもそれは明らかだが、『仮面の告白』においては、主人公が与太者の青年の血まみれで死ぬという妄想に自慰的に浸っているとき、すでに人妻となった園子の問いかけに「ふしぎそうに」振り返った、その瞬間の描写こそがクライマックスなのであった。

この瞬間、私のなかで何かが残酷な力で二つに引き裂かれた。雷が落ちて生木が引裂かれるように。私が今まで精魂こめて積み重ねてきた建築物がいたましく崩れ落ちる音を聴いた。私という存在が何か一種のおそろしい「不在」に入れかわる刹那を見たような気がした。

私はこのクライマックスの部分を読むと、岡本太郎の次の言葉を思い出してしまう。

だれでも、青春の日、人生にはじめてまともにぶつかる瞬間がある。そのとき、ふと浮かび上がってくる異様な映像に戦慄する。それが自分自身の姿であることに驚くのだ。それはいわゆる性格とか、人格とかいうような固定したものではない。いわば自分自身の運命といったらいいだろうか。自分自身との対面。考えようによっては、きわめて不幸な、意識の瞬間だが。(『原色の呪文』より 序――呪術誕生)

つまり『仮面の告白』は、何が存在感のない自分にとって最大の喜びかを確認した書であり、それは女ではなく、すでに自らが覚えているはずもない誕生の瞬間か、あるいはその逆ポイントであるところの死、それも逞しい若者が血まみれに切り殺されるという過激な死であるというその運命を自覚する、それを主筋としていると言わざるを得ない。

こう考えてくると、『仮面の告白』の冒頭の、彼が生まれたときに見たと強調している産湯の盥の縁に反射していた光、および、この小説の最後の一行、つまり件の若者のいた一団を、「私」が今一度振り返ったとき、誰もいなくなったその「卓の上にこぼれている何かの飲物が、ぎらぎらと凄まじい反射をあげた。」と書かれたふたつの光の意味も分かってこよう。それは、後年、自衛隊の営庭を歩いていたときの木漏れ日の輝きと同じく、存在感そのものであるところのもの、すなわち生命の輝きの比喩なのだ!

ならば『仮面の告白』の主題は、同性愛と異性愛の相克というよりは、生の歓喜としての性を軸としての、「殺人願望」と「通常一般の性関係」との相克であるというほうがより正確になるだろう。そして勝利を得た、つまり自分に確かな生の実感を与えられると分かったのは殺人のほうなのであった。しかしそれは当然のことながら実践したら終わりだ。妄想に、オナニズムに留めなくてはならない。しかし「健全」に異性と関係することも困難なことがもはや判明したのだから、彼は第三の「生」、疑似の「生」を作るという道をとらざるを得ない。つまり小説家になる。手始めにその男そのものが書かれるだろう。書くことは破滅へ赴く衝動を食い止める事業であり、生への固執として、ただひとつすがれる行為であった。いわば彼の命綱であった。それもまた「死んでいる生活」だったのかもしれないが、そこが彼にとって安楽の場所であったことは、彼の多くの文学賛美の言葉からして明らかであろう。むしろ短編『詩を書く少年』を見れば、当初「書くこと」は他者に対する優越を喚起させるものでもあったようだ。

ともあれ、作家となって以来、「書くこと」が本格的に彼にとっての「生」となった。これは「書くこと」によって生計を立て続けたという意味ではない。「書くこと」そのものが「生きること」という意味だ。彼がヴァカンスの先であろうと元旦であろうと休むことなく書き続けたのはそのためである。

そしてまた、書かれた「生」も最後は「死」で終わっている。しかし『仮面の告白』に続く長篇『愛の渇き』、そして『青の時代』はそれぞれ、主人公の殺人行為と自殺(の暗示)で終わるものの、書かれた死は当然、本物の死ではない。彼は誰も殺さずにいられるし、自分も「生き」続けられる。破滅、死への憧憬は作品に昇華され、封印され続けるのだ。文学的成功!

この文学的成功は「健康的な」ありかたで現実の人生に再チャレンジすることを促すことにもなった。三島26歳、彼のいわゆる「自己改造」が始まる。有名な豪傑笑いが始まったのもこのときからだ。

ここまではよかった。


『禁色』『潮騒』『金閣寺』論(三島26~31歳)
  ~日常生活への挑戦

生への再チャレンジ意識は、続く『禁色』にも反映された。それは、女に裏切られ続けてきた老作家、檜俊輔が、女を愛さない同性愛者の美青年、南悠一を操って、自分をふった女たちに復讐するというやや荒唐無稽な物語で、明らかに『仮面の告白』に書かれた失恋へのリアクションである。が、第一部はその復讐が成され、夫と悠一の同性愛の現場を目撃した鏑木夫人が自殺して終わるという異性愛に対する同性愛の優越をもって終了するものの、第二部は禁色ならぬ禁じ手を使って展開が逆転する。すなわち第二部の始まる前に三島は、異例の改定広告を雑誌に出して鏑木夫人を生き返らせ、同性愛者であることを家族に密告され窮地に陥った悠一を彼女に救わせたのである。このため悠一は(また作者も)鏑木夫人に対母親的な愛情を抱くようになる。悠一を制御できなくなった老作家は敗北を悟り、悠一に全財産を贈って自殺する。なぜ一度発表した文章を直さないことで有名な三島がそのような修正を施したのか。それは、異性愛へ赴くことがそのときの三島にとっての課題だったからだ。つまりこの結末には、三島自身の同性愛との訣別、母親的な女性への期待がこめられている。実際、密告事件の渦中において悠一は、同性の愛人たちと縁を切っていくし、この後、三島作品から同性愛は消えたのである。悠一が老作家の遺産を人生謳歌に使おうと決心するラストは、三島自身が文学で得た金をそのように使おうという決意でもあったのだろう。

太陽の下に飛び出した三島は、文学上でも明晰な方向、つまり古典主義へと傾倒していき、「何から何まで自分の反対物」、つまり何の葛藤もない明るい『潮騒』を書き下ろす。『潮騒』は通俗的には受け、彼は流行作家の地位を築き上げる。

次の長篇『沈める滝』は作家的成功による過去の失恋の鎮魂曲であろう。何に対しても感動しない主人公の土木技師城所昇が作者の分身であり、ダム建設が小説執筆の暗喩であることは論をまたない。ダム(小説)作りに従事しているかぎり彼は自身の無感動も気にならないのだ。その恋人、不感症の人妻顕子は昇との交渉で喜びを知るが、昇が感動しないゆえに自分を愛したのだと知ったとき自殺する。彼と関係を持とうとする者は、彼の無感動さのゆえ彼の元を去るしかないのだ。ダムの下に沈んでしまう小さな滝は、文学に封じこまれて昇華され消えていく園子への失恋の思い出である。ラスト、ダム見物に来た一人の中年女性に「あなたもそろそろお嫁さんをお迎えにならなくちゃなりませんね」と唐突な台詞を言わせて締めくくっているのは、三島自身が結婚、つまり日常へと赴くことを本気で考え始めたからであろう。彼がボディービルで肉体改造に取り組み始めたのは、この小説を書きあげた直後だった。

そのボディービルの開始と同時に書かれたのが、『金閣寺』である。それは「生を阻むもの」をテーマとしている。「生を阻むもの」は三島文学の大きなテーマで、十三歳のときの作品『酸模』からしてそれだ。少年を外で遊べなくした原因である脱獄囚、「おじさんにも坊やくらいの子供がいた。坊やが一番喜ぶことをしてやる」と言って刑務所に戻る脱獄囚は、十三歳の三島をついに手放した祖母でもあったに違いない。金閣もまた、主人公の溝口が女を抱こうとすると、突如あらわれ、妨害を行う。『仮面の告白』の最後でも、人妻となった園子と未練がましい逢瀬を重ねる「私」は、園子と起死回生の性関係を持とうと企んでいるように見えないこともないが(ここは『美徳のよろめき』を思い出す)、結局、逞しい粗野な若者の肉体が、それを阻む。『仮面の告白』と『金閣寺』は女(生)への接近を何かに邪魔されるという点で同じなのだ。

ならば、「生を阻むもの=金閣寺=逞しい若者」という連続等式が成り立とう。「金閣を焼くこと」も「逞しい若者を殺すこと」も「生を阻むものを破壊すること」としてイコールである。が、『金閣寺』を書いていたとき三島が現実でやっていたことは、男の肉体の破壊ではなく、それをわがものにすることであった。こう見てくると「金閣を焼くこと」と「自分が筋肉を得ること」は、生に向かっての出口という意味で、シノニムであることがわかる。主人公の「いつかは必ずお前をわがものにしてやるぞ」という金閣に向かっての叫びや、日本海の荒波を見ながらの『金閣を焼かなければならぬ』という決意も、それぞれ「筋肉をわがものにしてやるぞ」、『筋肉を得なければならぬ』と読みかえてあまり違和感がない。また最後の「生きようと思った」も、筋肉を得たがためにそう思ったはずなのである。よく考えれば、『金閣』と『筋肉』は音さえ似ている! 

つまり三島は、今まで小説で克服してきたものを、現実で直接克服せんとし始めたのだ。これは逆に言うと、小説では三島の問題は克服できなかったことをも明かしている。文学は三島に完全な勝利をはもたらさなかった。実際、傑作とされている『金閣寺』にも大きな欠陥がある。それは金閣の実際に放火される理由が納得いくように書かれていないことだ。なぜ自分の所有物でもないものを勝手に燃やすに至ったのか。心の中の金閣を焼く、ではダメなのか? 飛躍しすぎなのである。実際、『金閣寺』の主人公が放火を決意する場面は、日本海の荒涼とした海を見ながらという風景描写だけのもので、ここでは突然、主人公が紡いできた内面世界の描写や、観念的饒舌が沈黙してしまっている。行為に跳躍する説明がない。これがこの小説の欠点として感じられないのは言うまでもなく、読者が金閣放火事件が実際にあった事件であることを知っているからだ。(ゆえにか海外ではこの部分が欠点と指摘されることが少なからずあるようだ)三島にはモデル小説が多いが、それは彼の作品が現実感に乏しいことに根を持っている。もっとも彼に不足していた「現実」なるもの。

こう考えると重要だったのは、自分を支配するものを乗り越えることそのものより、乗り越える手段としての暴力行為のほうに有ったことが明らかになろう。『金閣寺』の主人公が幼少期、嫉妬とあこがれの対象とした年上の少女の名前が「有為子」であったことはそれゆえである。が、それならば、主人公が荒涼とした海をただ見ながら放火を決意したこともそれほどおかしくないことになるのかもしれない。つまり荒涼たる海はそのまま三島の内的風景なのだ。このモノクロームの世界に、血、火といった生命の色彩たる赤がほとばしらなくてはならなかったのである。これは、のち『午後の曳航』で、海を捨てた水夫を殺すさいに少年の首領が言っていることでもある。

「血が必要なんだ! 人間の血が! そうしなくちゃ、この空っぽの世界は蒼ざめて枯れ果ててしまうんだ。」(注:ちなみに、この『午後の曳航』も実際には最後に、少年たちが水夫を殺す場面がリアルに書かれていたという)

ともあれこの時点では、三十一歳の青年はなおも「生きようと思った」。ボディービルによって立派な男の肉体を得た三島は、『金閣寺』脱稿のあと、スポーツの世界に飛び込み、結婚し、家を建て、子供ももうける。「日常生活」のなかに「生きよう」とする。


『鏡子の家』論(三島34歳)
  ~マイホームパパになることへの拒絶

結婚生活に入ったときに書かれた大作『鏡子の家』は、彼のマイホームへ入る意志の反映である。芸術家、俳優、ボクサー、会社員と四人の自己の分身をえがき、自分が青春を生きたことを今一度再確認すると同時に、青春と訣別しようとした。結婚時に青春の終わりを意識することは別段珍しくもないことである。

しかし、『鏡子の家』はあまり評価されず、失敗作の声まで聞かれるものとなった。評価が低くなった理由として、四人の青年のあいだの葛藤の欠如がよくあげられるが、失敗の根本原因は、彼が現実の「健全な生活」に入ったことにあった。その反作用として、小説は小説としての力を必然的に失ってしまったのだ。現実に生きられないから小説を書くという彼の創作原理では不可避的にそうなる。

ともあれ、四人の青年たちの憧れであった鏡子を、平凡な結婚生活、マイホーム生活に戻すという結末をつけたことが、三島自身のマイホームに入る決意の反映であったのは確実である。最終章など、三島作品らしからぬ明るさであり、アメリカのホームドラマのようでさえある。何より最後の鏡子の饒舌な言葉は、明らかなマイホーム宣言である。が、三島は本当にそう宣言したのだろうか? この部分の筆は驚くほど上滑りしており、鏡子の決意を楽しく描写しながらそれを蔑視しているようにも見える。作中一度も姿を見せなかった鏡子の良人が犬を連れて鏡子の家に帰ってくる最後の一行を読まされると、その疑念はさらに大きくなる。

「七疋のシェパァドとグレートデンが、一どきに鎖を解かれて、ドアから一せいに駆け入って来た。あたりは犬の咆哮にとどろき、ひろい客間はたちまち犬の匂いに充たされた。」

三島は犬でなく、大の猫好きであった。猫が忘恩の徒であるからだと語っている。ならばこの犬たちが三島の厭うもの、マイホームに鎖をつけて飼われているもののシンボルなのは明らかだ。では、鏡子がマイホームに回帰するラストも、作者図らずとものアイロニーがこめられてしまったと考えるほうが自然ではないか。彼は、家庭を持ったものの、いつかマイホームパパであることを拒否するだろうことを告白してしまったのだ。やはり血と死にしか生の実感を見出す期待がもてなかったのか?

そうなのだろう。彼は『鏡子の家』を書き上げたのち、ふたたび逞しい若者を切り刻む妄想を前に打ち出しはじめるのである。しかも今度はシチュエーションが変わっていた。自分の肉体を切り刻もうとするのだ。『鏡子の家』の翌年には、最後に刺し殺される若いヤクザを映画で主演し、さらに次の年には、切腹小説とでも呼ぶべき『憂国』を上梓する。


『憂国』論(三島35歳)
 ~日常(家庭)と死との融合

彼の問題は逞しい肉体を得れれば済むものではなかった。肉体の獲得だけでは存在感の欠如という全的問題の解決には遠すぎた。彼が執着していたのは、死んでいる自分を生き返らせる方法としての『逞しい若者が血まみれになって殺される』という過激な図を見ること、その血を浴びることにあったわけだから、自分が逞しくなった今、今度は自分を血まみれに殺すというヴィジョンが出てきたのは当然であった。それに他者を殺すより、自分を殺すほうが実現するには近い。何より彼には最初から存在感の欠如からくる「死にたい」という欲求の受け皿があった。切腹の激痛を甘受させえたのもまた存在感の欠如のなしたところなのだと思われる。なぜなら存在感の欠如は、切腹という行為も、その激痛も、またそれで死ぬことでさえ、いや、それを実行する勇気でさえ、彼に実感性をもたらさなかったと考えられるからである。ゆえに彼にとって、切腹という行為に実感性が現れるかは、本当にやってみないと分からないということになる。一気に危機が増幅する。(危険な高所に立ったとき、ここに足を出せば落ちて死ぬということが現実的なことに思えないことがあるが、それに近いのかもしれない)

しかし三十代の彼はまだ「何としても日常を生きなければならぬ」とも思っていた。『憂国』はそんな「日常」と「死」との葛藤の理想的解を描いた短編である。「或る銀座のバアのマダムは、『憂国』を全く春本として読み」と言い訳めいたことを言っているように文学的高さには疑問がある作品ではあるのだが、この作品を「エロスと大儀の融合」として晩年まで「自分のすべてがある」と言い続けたのは実感であったろう。決起に誘われなかった主人公の苦渋には、戦争で死なず幸福な結婚生活を営んでいること、そして武人として遅れてきた焦燥が反映されている。これらのわだかまりを、三島の愛する血まみれの壮絶死たる切腹が、一瞬にして挽回できるものとして扱われているのだ。

ゆえに三島が以降、切腹に完全に憑かれてしまった(このことは誰も否定できないだろう)のは当然だったといえよう。最初はまだオナニズムのレベルであったが、だんだんと現実化へと動き出しはじめ、比例して家庭生活が切り捨てられていく。『憂国』のように結婚生活までを切腹に付随させるのは無理な話だからだ。特にこのころ父親というものの否定というテーマが目立つ。『午後の曳航』では、栄光への希求を忘れてマイホームパパになった船乗り竜二を、父親こそもっとも悪い存在と考える十三歳の少年たちに処刑させ、『絹と明察』では、父親ぶって自分の考えを社員、工員に押し付け、自己満足している会社社長(祖父の定太郎がモデルと思われる)を徹底的に揶揄している。

三島は四十歳を迎える。英雄的流血の死を演じるに、今度は時間の制限が加わる。男四十歳、それは肉体だけでなく性欲までも衰えるのが分かってくる年齢だからだ。彼が極度に老いを怖れたのはあまりに有名だが、死、切腹に対し単に性的興奮に留まらず存在感の証までを見ていたのだから、性欲を失うという意味でも老いは恐怖であったのではないか。

かくて彼は切腹死の実行を性急に模索しだす。しかし現代社会に切腹の必然性などない。一気に飛躍するしか道はなかった。「切腹死する物語」を自分で作り上げるのだ! きらびやかな制服の私兵「楯の会」も、その隊員たちとの自衛隊体験入隊もその布石であった。しかし何より必要なのは、その行為を必然とさせる文化的背景の再現出であった。すなわちその行為を命令する文化的絶対者。こうして、天皇が借り出されるに至る。三島自身も生前最後の対談で言っているが、まさか殿様を借り出すわけにはいくまい。実際三島における「天皇」は、40歳代になってから唐突にクローズアップされたものだ。『憂国』執筆の時点では、主人公夫婦が毎朝、ご真影に拝礼するという描写こそあるものの、その他言動を点検する限り、特に「天皇」に三島の関心は向けられていない。本当に切腹することを視野に入れたのち、三島は饒舌に天皇について語るようになったのである。41歳のときの作品『英霊の声』でも、三島は、二二六事件を起こした将校たちに対し「想像の天皇」の口から「心安く死ね。その方たちはただちに死なねばならぬ」という直截的にすぎる命令を発させて、彼らを切腹させているし、その後『豊饒の海』の第二巻『奔馬』の主人公にとっての天皇への忠とは、火傷するほど熱い飯をにぎって作った握り飯を天皇に差し出すことであり、それを天皇が食べても食べなくても自分は切腹するという切腹への短絡性ばかりが目立つ天皇観からしても、三島にとっての天皇の存在意義が「切腹を司る者」にあったことは明らかだ。晩年の彼が頻繁に口にした「行動」というものが、つまりは切腹そのものであったことも。(三島事件については政治的なことは多く言われるが、実際は切腹自体が目的だったのは論をまたない)

しかし晩年に急にクローズアップされたとはいうものの、天皇の存在意義が「切腹を司る者」にあったのならば、三島にとっての「天皇」の原型は、実は昔からあったことに気づくだろう。すなわち『仮面の告白』の、空想の世界で逞しい男たちを切り刻むことを命令していた「私」である。これは三島が偽名で同人誌に発表した官能切腹小説『愛の処刑』で体育教師に切腹を迫る美少年や、『午後の曳航』で水夫に死刑の裁定をくだす少年たちの「首領」、短編『孔雀』において孔雀を殺戮する美少年にもその面影が見える。三島が最後、「天皇陛下万歳!」と叫んだとき、それは「空想世界の中で幸福だった黄金時代の私、万歳!」ということでもあったのだと言えば、関連付け作業に溺れすぎと言われてしまうであろうか。

ともあれこうして切腹死までの線路が敷設されていった。後付けの理由のために死ぬなんてことがありうるのか、という方は次の三島の文章を読んでいただきたい。

「ニヒリストは世界の崩壊に直面する。世界はその意味を失う。ここに絶望の心理学がはたらいて、絶望者は一旦自分の獲得した無意味を、彼にとっての最善の方法で保有しようと希むのである。ニヒリストは徹底した偽善者になる。大前提が無意味なのであるから、彼は意味をもつかの如く行動するについて最高の自由を持ち、いわば万能の人間になる。ニヒリストが行動を起こすのはこの地点なのだ。」(『新ファシズム論』)

後付けの架空の理由を昔からの事実であるように見せかけるのは、三島四十歳のときの短編『三熊野詣』などにも表れている。

三島にとって現実の生は、死、破滅にしか見出せないことはすでに確認した。だから小説世界と現実世界の互換は、命と引き替えでしか成立しない。彼が現実に赴く日は、不可避的に彼が破滅する日であり、同時に小説を書くことが終わる日となる。だから彼が最後に書く小説は、書くことの終わりを決定づける小説でなくてはならなかった。


『豊饒の海』論(三島40~45歳) 
  ~何作も書き続けることの暗喩としての輪廻転生

三島由紀夫最後の小説。それは執筆に五年が予定された大作で、全四巻、二十歳での夭折を転生して繰り返す四人の人物を描くものとして構想された。

しかしなぜ輪廻転生なのであろうか?

三島が作中内の客観的事実現象として輪廻転生を扱うつもりがなかったことは、「実は輪廻転生などなかった」というこの作品の結末自体が証している。この結末は気まぐれにもたらされたものではない。主人公の輪廻転生は巻を追うごとに疑われだし、その貴種性、及び背負うべき劇的なドラマも、意図的に衰弱させられていっているからである。第一巻『春の雪』は、大正初期の華族の悲恋譚として今もよく単独で読まれている。二巻『奔馬』も、主人公である右翼の少年のひたすらテロ行為を犯して自刃したがる猪突猛進性にはやや共感しがたいところがあるものの、主人公が大きな目的を持っているだけにドラマは存在し、読ませる力がある。それが第三巻『暁の寺』となると、貴種のドラマ性は大いに弱まってしまう。第三の転生者、タイ王国の王女は主人公とはとても言えない。内面描写はゼロで、彼女自身のドラマは最後に同性愛者であることが判明する以外は、ないに等しい。主人公は、全巻通じてのオブザーバーである本多繁邦に移行している。もっとも、この広い世界の中で転生者が本多の前に必ず現れるという偏向な展開からして本多のほうに主人公性が移行していくのは必然であった。ところが本多は主人公になると卑小な人物と変わり果てる。『春の雪』や『奔馬』ではそれなりに行動力も見せていたのに、三巻に至ると「行為なき認識者」と決めつけられ、果ては「見る」ことでしか自己の存在を見出せない気質の戯画として「覗き魔」の趣味まで付加される。

最終巻『天人五衰』では面白さが戻ってくるが、それは『豊饒の海』全体としてあるものである。つまり最後の転生者は本物であるか否か、この大作の結末はどうなるのかとの解に突き進むスリルである。岬の信号所員である身寄りのない少年、安永透が転生者であることを知った本多は、透を養子とし、夭折から守ろうとするが、透はこの果報を受けるや、義父を「年寄りなんて穢い。臭いからあっちへ行け」「あれ、まだ生きてたの」と苛めたおすようになる。もはや貴種の気高いドラマは見る影もない。とは言え、転生者の証である黒子があり、本多の前に現れたことからしても、透が前三人の転生者であることは間違いない。つまり透は「贋物」と呼ばれこそするものの、タイトルどおり天人の超越性がここにきて衰えきったと解釈するのが妥当である。実際、透には腋に汗がたまりやすいという「五衰」の兆候が現れている。

なぜ三島は天人を最後に卑しめたのか? 最後に透を嘲る老女、久松慶子の言葉は天人の存在の否定ですらある。

「この世には幸福の特権がないように、不幸の特権もないの。悲劇もなければ天才もいません。あなたの確信と夢の根拠は全部不合理なんです。もしこの世に生まれつき別格で、特別に美しかったり、特別に悪だったり、そういうことがあれば、自然が見のがしにしておきません。そんな存在は根絶やしにして、人間にとっての手きびしい教訓にし、誰一人人間は『選ばれて』なんかこの世に生まれて来はしない、ということを人間の頭に叩きこんでくれる筈ですわ。」

三島文学の中で、もっとも感動的と言えるこの文章は、前三人の主人公の否定のみならず、小説の中に天人を見ようとする三島自身の否定にもなっている。

しかし決定的な否定はラストだ。八十歳になった本多は、第一巻のヒロイン聡子と六十年ぶりの再会を果たすが、聡子はかつての恋人であり、本多の親友であった松枝清顕を、知らない、そんな人は最初からいなかったのではないかと言い本多を呆然とさせる。本多は、清顕がいなかったのなら、その生まれ変わりであったと思った者たちも、自分すらもこの世にいないのではないかと慄然とする。そのとおり、登場人物は皆いなくなったのだ!

あまりに有名な『天人五衰』の末尾は、すべてが光の中に溶解し、最後の一行では本多すら消えていったという感覚を覚えるが、理論的に言ってもすべて消えなくてはいけない。なぜならこの結末は破綻しているからである。清顕がいなかったのなら聡子も誰もいてはいけないはずなのだ。

それでも、ニセモノ安永透だけは小説の中に生き残ったといえよう。透は前三巻の主人公たちと同じく二十歳で死ぬ選ばれた転生者であることを証明しようとして自殺を図るが、失明はしたものの命はとりとめる。そして自らを美女と思っている狂った醜女と結婚して余生を送ることとなる。死ななかったという意味では透は贋物であるとも言えよう。本物なら夭折に成功するはずだからだ。またしても最後に現実と小説の入れ替え!

が、最初から、三島の輪廻転生に対する感情はアンビバレントなものがあった。それは『奔馬』における次の言葉からも明らかだ。

「ひとたび人間の再生の可能がほのめかされると、この世のもっとも切実な悲しみも、たちまちそのまことらしさとみづみづしさを喪って、枯葉のように落ち散るのが感じられた。それは何かしら、悲しみによる人間の気品が本質的に損なわれるのを見る忌わしさにつながっていた。それは、考えようによっては、死よりも怖ろしいものであった。」

どうして颯爽たる貴種の輪廻転生をモチーフにしながら三島は、輪廻転生、いわば不死が「死よりも怖ろしいもの」と言い出すのか? ここで、三島が「不死」を僭称するものとして『太陽と鉄』で定義していたものを思い出そう。それは「精神」である。三島が「精神」というとき、それは「肉体」と対峙する概念として登場してくる。つまり「精神」とは、「現実」に対しての「文学」のことをも言い表している。文学の中に生きるとは不死であることだと三島は言いたいのだ。事実、小説家は、ひとつの小説の中に生き、そして死んでも、次の新作でまた生きることができる。(この場合の「死」とは主人公が作中で死ぬという意味ではない) つまり小説を何作も書き続けること自体が、輪廻転生(不死)である。しかし小説家も現実に死ななければならない。文学の中に不死に生きているのに、肉体は消滅してしまわなければならないという理不尽!

これが、三島が輪廻転生を「死よりも怖ろしい」とする理由であり、書き続けて天寿をまっとうできない理由であった。つまり『豊饒の海』における「輪廻転生」は、小説家が小説作品を何作も書き続けることの暗喩なのだ。言い換えると、『豊饒の海』は、小説家が小説を書くことの輪廻転生的性質をモチーフにした小説である。だから『豊饒の海』の最後に輪廻転生が否定されることは、作者にとって書くことの終わりを意味していた。小説の中で死ぬことができないなら作家は、現実に本当の死を受け入れる心理体制を整えなくてはならない。そして「不死」を僭称する文学のほうは強引にでも終わらせなくてはいけない。実際、三島は遺言で、最後に自分は文学を捨てたのだと明言している。最後もまた「生を阻むもの」が破壊されるという結末が繰り返されたのである。『豊饒の海』における「生を阻むもの」、それは、彼の愛した「小説」、つまり「書くこと」であった。

こう考えれば、『暁の寺』の悪名高い唯識論の長広舌も、それほど難解なものでなくなるだろう。本多は、輪廻転生する主体とは究極の識、阿頼耶識であるとの認識に達するが、この作品においての阿頼耶識、すなわち転生する主体とは、作者の三島由紀夫自身ということで本稿の答と符号するからだ。これは考えてみればすぐ足元にあった答えである。なぜなら「輪廻転生する」だけならともかく「二十歳で死ぬ」などという具体的でマニアックな運命を誰が与えるのか。そんなことを考えるのは三島由紀夫しかいないではないか。仏教の教えでも、輪廻転生は悟りが開けるまで繰り返されるのだとされている。悟りが開けたとき、輪廻転生は終わり、人は解脱する。壮烈な死を現実に生きようとすることが、三島由紀夫という男にとっての悟りであり、解脱であったという他はない。

『豊饒の海』は現実へと船出する準備期間の五年という歳月に合わせて仕立てられた作品だから、その一巻一巻は、そのときの彼の内的要請によって生れた作品ではなく、せいぜい言って自己模倣だった。すでに多くの指摘があるが、『春の雪』は、『仮面の告白』の「私」と園子を美化して繰り返しただけであり『奔馬』は彼の行動の先行模倣である。そしてこの四つの物語は、最後の輪廻転生の否定でしか関連性を持っていない。結果として最後にすべてを否定するためだけに前の三巻は書かれたのである。「すべてはなかったのだ」というこの小説の結末は、三島自身が最後のエッセイ『小説とは何か』で言ったように、「11月25日」を現実とし、小説を「紙屑」としてしまうための結末だった。ラストシーンが庭で終わっているのも庭が小説の暗喩となるからであろう。それはどちらも人工の自然(生)である。その「庭」は最後、彼が熱望した生命の輝きの比喩であるところの「光」に飲み込まれていった。安永透が小説世界の中に生き残ったのは、透がこれからも読まれ続けていくだろう小説作品なるものの暗喩だったからだろう。ならば透と結婚する自らを美女と思っている狂った醜女というのは、読者のことを表していよう。三島は『小説とは何か』でも小説の読者の姿を悪意的に描いている。(本多絹江という最終的な彼女の名は『本抱き寝』の意か?)

『豊饒の海』のラスト。それは、三島自身が文学という命綱を自ら切断し、現実の世界に出て行ったという証であった。唯一、生の歓喜が感じられることが期待できると信じた流血の死を、今こそ、生きんとするために。「七たび生まれて国に報いる」と筆書きされた鉢巻をたずさえて。


結論、昭和45年11月25日 ~貴種の矜持

比喩ではなく、彼の最期は彼の戯曲作品だといえる。その筋書きといえば、面会した自衛隊総監を縛り上げ、そこで「憲法改正=自衛隊が国軍になる」ためのクーデターを起こせとアジ演説を自衛隊員に飛ばすものであったが、その場でそのような行動を自衛隊員がすぐに起こすなどとは、さすがに三島も考えなかったに違いない。だから扇動の演説後、このような騒ぎを起こした責任を切腹してとり、それをして自己の訴えを残す。こういうストーリーとなった。上演自体は驚くほどうまくいった。しかし観客の反応は最悪であった。

高い所に仁王立ちになり威丈高に両手を腰にあて拳を振り回しては、反感も買おうというものだが、しかしこれこそ彼のやりたかった立ち居振る舞いなのであった。これは、『仮面の告白』において遊動円木の上に君臨した野性児近江の姿そのままである。ぶ厚い胸に張り付く制服。太陽にきらめく金ボタン(金鍍金の帽章)。腰に白い手袋の手をあてた立ち姿。拳闘選手のようなガッツポーズ。「俺と一緒に立つ奴はいないのか」という台詞まで、近江の「(遊動円木上で落としあいを挑んでくる奴は)誰もいないのかい?」という言葉とまったく同じだ。三島はそのときの近江を「こんなに美しい彼を見たことがなかった」と記す。しかし三島は近江のように、そこに集まっていた者たちから畏敬の念では見られず、衝動的に近江に挑む名乗りを挙げたときと同じように、ギャラリーから野次と嘲笑を浴びせられたのだった。正に「その人には、その人にふさわしいことしか起こらない」という彼がよく用いた箴言どおりになったという他はない。三十分予定の演説は、数分で中止せざるを得なかった。

この唯一の誤算は、彼が「自分は死ぬのだから、同志たる自衛隊員なら少なくとも話を黙っては聞いてくれるはず」と思いこんでいたところにある。実際、野次った隊員の中には「死ぬのならば聞いてやればよかった」と語った者がいたというが、あそこで「死ぬ」などと誰も考えるまい。それほど彼の「死にたい」「切腹したい」は性急であり、飛躍がありすぎた。しかしすでにみたように、「飛躍」した結末は彼の作品の一大特徴である。それは文学作品の中でさえ、ときに説得力のないものとなるきらいがあった。加えて彼は、自分の作品が「黙って」読まれる(観られる)ことに慣れすぎていたとも言えよう。

政治性があとからの付け足しなのはすでに見た。彼は「日本」を救うように見せながらその実、自分を救いたかったのである。実際、彼の最後の言葉における「日本」は「私」と読み替えたほうが合点がいく。いわく「こんな挙に出たのは私の根本がゆがんでいるからだ」「自衛隊こそが私を正せる存在なんだ」「戦後の私は経済的繁栄にうつつを抜かし」「私を私の真姿に戻してそこで死ぬのだ」。この置きかえは有名な晩年のエッセイ『果たし得ていない約束』にも適用できるであろう。「私はこれからの私に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら私はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする」――。

ついでに英国のジャーナリスト、ヘンリー・スコット=ストークス氏が著書「三島由紀夫 死と真実」で記した、「日本に呪いをかけてる緑色の蛇」という三島の発言もこの観点で解けるかもしれない。つまり緑色の蛇とは彼自身にとりついているものである。そして彼のどのエッセイであったか失念してしまったのだが、彼は神経疾患で苦しむ祖母を「蛇がのた打ち回っているようだった」と描写していたのだ。緑色というのも祖母の病身の肌の色としてどこかで描写していた記憶がある。ストークス氏は、三島がこの発言を口にするのに一瞬ためらったように見えたと言っているが、さもありなん。三島が祖母に言及するときはいつもアンビバレントが感じられる。『仮面の告白』さえそうだ。三島は「祖母の溺愛がまんざらでもなかった」と言いながら、祖母に支配された世界からの脱出を、終生夢見ていたのだ。よく三島は、西洋的生活をおくりながら、なぜ晩年は伝統的な日本世界へと向かったかと疑問を持たれることがあるが、これも洋の東西という表層で測るから疑問に見えてくるだけであって、祖母の世界からの脱出という足場から見ればよい。つまり西洋的生活は、祖母の病室、湿った暗い和室の忌避であり、児戯めいた旧軍的暴力世界へのあこがれは、かつて祖母の部屋で大人しく女の子と遊んでなければいけなかったことへの復讐である。

さて、彼はなぜあのような異様な死に方をしたのか? そう、異様であるからこそ、私にとってもそれはひっかかり続けてきた。切腹という時代錯誤のしかも非常に苦しみを伴う死に方。あっけにとられるほどの場違いなクーデター要求。世界的に著名作家であること。異様なファクターはいろいろある。しかし何が一番異様かというと、あのぴっちりした制服を着た彼の演説のオナニスティックな図であろう(ボディコン服への偏愛もすでに『仮面の告白』にみられるが、結局、彼は最後までオナニズムの重力圏から抜け出すことができなかったといえる)。音声付きの動画を見たら、意味不明の混乱の場としか見えないが、写真のほうは、生前の三島の写真のほとんどがそうであるように、ひとりカッコよく写っている。三島自身このように撮られることをはっきり狙っていたはずである。末永く他者の目を奪うであろうその図――。私が三島事件に衝撃を覚え、今更このような文章をしたためたのも、幼少期、その事件を初めて私に教えた雑誌に、その写真があったからであった。それはその仕立てのいい制服からしてもきわめて「本物」に似せることに成功したものであり(私はあとになって、あの制服が三島自身の趣味であつらえたものだと知って驚くと同時に、どうしようもない本物へのコンプレックスと、偽物の空虚さ、さらにそれを本物と思い込もうとするしかない人の悲哀を感じたのを覚えている)あの写真こそ、まぎれもなく三島由紀夫という男の存在証明になっていた。ならば、それは死に方の異様さというより、自己存在の証明方法の異様さというべきではないか?

切腹自体は今でもたまに起こっている。地位的に伝統的なものを受け継いでいる人物などにも見られる。しかし三島の場合、武士的地位は捏造であり、切腹まずありきだったのだから、その考察にあたっては「切腹」という行為そのものの持つ根本的力の原理を見据えなくてはならない。そこから考えるとこうだ。腹を深く切る激痛を想像することは、恐ろしさと同時に、単純に、切腹者の勇気を認めることにまずはなるだろう。切腹自体、元来が武士の勇気を証立てるために考えられたものである。また同時にその激烈性をして、己が赤心を相手に分からせるためにも行われた(らしい)ものである。(そういう意味では切腹は他者への攻撃性を秘めている)ならば三島は、この激痛をひき受けることによって、己が真実性をどうしても自他に過激に見せつけたかった、だから正午のニュース時間にあわせて公衆の前に軍服の姿をあらわして見せる必要もあったのだというのが、まずは率直な解釈、あの過激性と『異様さ』に見合った同質同量の推測になるのではないか。

ではなぜ、それほどまでに、彼は、自他に、真実性を見せつける必要があったのか? 存在感の獲得、老いての死の恐怖の克服なども述べてきたが、とどのつまりは、

「存在感の欠如」という敗北性に、決して甘んじることができなかったから――

これ以外に私には答えが見つからない。実に単純な結論だが。

「私には敗北の趣味が先天的に欠けていた」(『仮面の告白』)
「私は何より敗北を嫌った」(『太陽と鉄』)


自己存在感のなさのゆえ、また過激な死に方こそ存在感が得られるのではないかと考えたために、彼は死にたかった。彼が死にたがっていたことは、彼の作品に親しんだ人なら誰でも理解できるであろう。ただし「自殺はいや」(『詩を書く少年』)なのであった。それは彼が、同じ文学者である芥川や太宰の自殺に対して、再三嫌悪感を表明していることからも明らかだ。それは敗北の証だから。敗北の結果ではない「殺される」死でなくてはならなかった。切腹が絶対者に「命じられる死」であり、「殺される死」であることはすでに申し上げた。また彼が幼い時から抱いていた殺人願望にしても、それが逆転勝利への意志でなくて何だろうか。結局、ボディービル、及び成功した作家の持つ名声と経済力という十分条件があったものの「殺される王子」、すなわち英雄的な死を迎える男、それに自ら化身するという解が、幼児期すでに選ばれていたという他はない。彼のあの膨大なすべての努力はそこに収斂されていた。彼の死が今も、「自殺」でなく、武士的で勇敢な「自決」という言葉で表記され続けているのは、彼のひとつの達成であろう。

貴種、天人たる矜持――。

これこそ彼の特性の本質であり、宿痾であり、生を阻む固定観念である「美」への執着の中核であり、さらには彼の文学の魅力の源泉ではなかったか? これは三島由紀夫という人物固有のものでは決してない。人間普遍のものがある特殊環境において強烈な『軸』と化しただけである。

あの事件は、大名の孫でありながら平民に嫁がされたなどの彼の祖母の苦を通じて発生したことからも分かるよう、巨視的にみれば、日本の急速な近代国家化による歪みがもたらした事件といえるだろう。社会システムや価値観を急激に変えるためにどれだけ家庭がそして個人がひずみを受けているかは、日本で今も継続中の問題である。その意味で三島事件は、近代日本人個人が受ける歪みをもっとも端的な形で表した事件と言えるのではないか。三島由紀夫は彼自身それと知らず、近代日本のゆがみを視覚化してみせたのだ。いやそれだけではなく、切腹には他者への攻撃性をもが内包されていると申し上げたように、三島の切腹は、彼よりはそのゆがみの被害を受けなかったわれわれへの呪詛であり、もしかしたらそれが真の彼の訴えだったのかもしれないのである。私は本稿において、終始、三島由紀夫の主張する政治論、及び三島事件の政治性は論じるに値しないものとして完全に無視してきたが(これは私が戦後の自衛隊や憲法に問題を感じてないという意味ではない)、この観点――近代日本の歪みが個人に露骨に表れた事件とみる観点においては別である。むしろこの観点にこそ三島事件をもっと幅広く論じる本質、私含めた日本人にとっての今日の問題があるに違いないと考える。三島の死の真の要因を追求することがタブーになっているのも畢竟ここに理由があるのであろう。しかしこの先の問題は、当ブログ別項の『日本因数分解論~日本は実はふたつある』などで論じたい。

それにしても、三島由紀夫は『奔馬』の主人公のように切腹の果てに、生の輝きを見たのだろうか。しかし彼自身が本気でそれが見えると思っていたかどうか疑わしい。なぜなら「無になるときそれは有であることが証明できる」という理屈は、生きている人間には不可知だからだ。自分がナイフで真二つに裂かれたときしか自分の存在を見ることはできないと書こうとも、それは生まれたときの光景を見たという主張同様、彼の自己申告に過ぎないのであり、つまりは必死の思い込みでしかないのである。

われわれのほとんどは不可知であることをそうであると信じきって生きている。われわれは、いろんなことを盲目的にそうだと思い込んでいるにすぎない。だから空虚の深淵に落ち込まないですんでいる。自分は存在していると信じることができるのだ。三島には、その盲目的に思い込む能力が育たなかった。だからしかと「見て」確認するしか道がなかった。『詩を書く少年』で、彼が、生に盲目となった人を滑稽だとしたのはその反動である。そして滑稽さこそ美と正反対のものだ。ならば思い込みの滑稽さが見えている者が生きようとしてなおかつ、「生」の滑稽さから逃れるには、思い込みを「死」という絶対的に峻厳なもので裏打ちするしかなくなってしまう。だから三島由紀夫は、自身が現実世界を生きるときには、「死」という生を生とできるであろう一点にしか自分を託すことはできなかった。さらに、それが正しいと思い込もうと必死に努めるしかできなかったのである。

盲目的にそうだと思い込めなければ、確かに人生は耐えがたいに違いない。


『第三都市 幻想画家:福本晋一ウェブサイト』
http://www7b.biglobe.ne.jp/~fukusin/












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