ミッドウェー海戦の通説を批判する~実力差による必然的敗北

ミッドウェー海戦の歴史的大敗はいまだ日本に教訓を残していて、軍事評論を超えて日本人論などでも研究・意見・反省が出されているようだが、私は、このミッドウェー海戦についての通説に対しいくつか異論がある。

まず「日本のほうが圧倒的に兵力が上だったのに惨敗した」という見解。

私は戦った兵力は日米互角、むしろ米側のほうが上だったと思う。この戦いには戦艦大和をはじめ日本側はほとんどの戦艦をも出しているが、大和を中心とする戦艦部隊ははるか後方に位置し、実際に戦ったのは、南雲機動部隊の空母4隻であった。戦艦は飛行機の前には手も足も出ないことはすでに半年前のマレー沖海戦で日本海軍自らが実証しており、たとえ大和らが南雲部隊に随伴したところでやれることといったら、敵機の攻撃を吸収すること、つまり囮くらいしかなかった。竣工したての大和は対空砲火も大したことはなかったのである。もちろんこの時点、戦艦を囮にする作戦などするわけがなかったので、大和らの部隊が前に出されることもありえなかった。アメリカは最初から徹底していて、ミッドウェー海戦には戦艦を出していない。つまりミッドウェー海戦は空母同士だけで戦わざるを得ない戦いだったのである。だからそれ以外は対峙した戦力として計算するわけにはいかないのだ。

その空母だが、アメリカ側が出撃させたのは現時点稼働できるすべての空母で全部で3隻。だから実質は空母で4対3なのである。しかしこの4対3でも、日本側のほうがパイロットの熟練度が高かったという理由で戦力は日本が上だったとしている人は多い。しかし、米空母のほうが日本空母よりたくさんの飛行機を積めるので飛行機自体の総数はほぼ同数、いや、アメリカにはさらにミッドウェイ島に150機があったのだから飛行機数でいえば米側のほうが上だった。飛行機からの爆弾投下の命中率にしても、この海戦の結果を見る限り、大した差があったとは思えない。米爆撃機のほうが爆撃機が積む爆弾も大きかったので、航空機の攻撃力は同等ではあるまいか。防御力となると、空母、飛行機ともアメリカのほうがずっと頑丈であり、特に空母のダメージコントロールは優れており、その他、通信機器、索敵機、対空砲火もアメリカのほうが上であった。これらすべてをトータル的に数値化するのは難しいが、総体的にはアメリカの戦力のほうが上だったと言えると私は思う。少なくとも日本が「圧倒的優勢」などとはとても言えない。

にもかからわず、「ミッドウェイでは日本軍のほうが兵力が上だった」とか、「世界最強だった第一航空戦隊」などと言われ続けているのは、実際の勝敗はともかく、実力そのものは日本がアメリカをしのいでいる時があったと、当時の海軍首脳も、そして現代の日本人もまた思い込みたいからではなかろうか。日本は黒船により開国を強要されて以来、アメリカの圧倒的軍事力に屈し続けてきた恨みがある。アメリカはアメリカで、ミッドウェーにおいては、大勢力の日本軍をわが軍が打ち破ったのだと言えるのは気持ちがよいだろうから、特に日本優勢説に反論する理由もない。(歴史上、日米の軍事力の差がもっとも縮まったのがミッドウェー海戦時であったのは言えると思うが)

次に、ミッドウェーの大惨敗の原因として、日本軍がミッドウェー島攻略と敵空母の撃滅とどっちが主目的だったか明確にしていなかったということがよくあげられる。が、これはそもそも明確にできるものだったのか。

日本軍が南太平洋において米豪連絡線の遮断を目指していたとき、急に北太平洋のミッドウェー作戦を行ったのは、その一か月半前に空母から陸軍の双発機を発進させるというアメリカ軍の奇手により本土空襲を受けたからである。これに衝撃を受けた日本は、戦略的にも感情的にも敵空母部隊を叩かなくてはいけないと動き出し、そしてミッドウェー作戦が決定されたのだった。だから本来は、島攻略よりは敵空母撃滅が第一の目的であったはずなのだが、作戦を練っているうちに島の攻略と空母撃滅とどっちが主目標か分からなくなってしまった。そして作戦当日、日本空母部隊は敵空母発見の報が入ると、ミッドウェー島攻撃用の爆弾を空母の格納庫で待機している飛行機からはずして、対艦攻撃用の魚雷などに転換。そんなややこしいことをしているうちに、格納庫の中は爆弾だらけになってしまい(普段は下部の装甲部分にしまっている)。そこを敵爆撃機に奇襲されて自弾誘爆、3空母が簡単に大炎上、結果4空母ともすべて沈没しまった。これゆえに攻撃対象の特定ができなかったことが大きな敗因であったと指摘されている。

しかしミッドウェー作戦は、最初からミッドウェイ島か敵空母か主目標を絞れないものであったと私は思う。当初、日本軍はミッドウェー島を奇襲で攻略したのち、それを奪還しにくる敵空母を撃滅するという手順でいた。これならまずは島攻略が主目的でよいであろう。しかし、ミッドウェーが日本の手に落ちたとしても、米空母が奪還に出てくるかは疑わしいものであった。ミッドウェーは資源も港湾設備もないも同然の島で、それほど戦略的な価値のある場所ではないからだ。ミッドウェーを日本に占領されても、そのときは米軍はのこのこ出て行ったりせずに、ハワイ堅守に切り替えていただろう。だから、日本軍はミッドウェー攻撃時に米艦隊が出てくることのほうを望んだ。だから、ミッドウェー攻略作戦は真珠湾攻撃のような徹底的秘匿はされず、日本内地では散髪屋さんまでが「次はミッドウェーですってね」と言うほど情報が駄々洩れだったわけであり、実際、日本軍の一部では「米空母が出てくるなら望むところ」とすら考えていた。何より、実際、ミッドウェー島攻撃時に、南雲艦隊は敵空母出現にそなえての警戒の索敵機も飛ばしていたし、第二次攻撃隊は対艦用兵装で待機していたのである。

つまり、日本のミッドウェー作戦は、最初からミッドウェイ島と敵空母の両方を相手にせざるを得ない作戦だったのである。ミッドウェー島(対地)と敵空母(対艦)という異種の敵と同時に戦う、それもトータル戦力ではよくて互角でしかない敵と戦うという無茶な作戦だった。そして、日本の暗号はアメリカに事前解読されていて、米空母は出てきた。この暗号解読されたことを完敗の第一要因にあげている人もいまだに多いが、敵空母出現はすでに申し上げたとおり、予測(というか希望)されていたことであるので、暗号解読を完敗の原因にするのは自家撞着である。

「米空母が出てくるなら望むところ」と自信満々、気楽なことを考えていたのは、当時の日本軍が、東南アジアに駐屯する欧米の多国籍混合軍などという大して強力でもない部隊に対し緒戦、連戦連勝したので、軍も国民も有頂天になってしまっていたためであった。有頂天さが希望的、夢想的観測の跋扈を許さしめ、それが現実法則を見えなくさせてしまったのである。山本五十六長官を載せた大和ら後方の戦艦部隊は一種の見物部隊か、お飾り部隊であり、実際のところ、この海戦を日本海軍は、ゲームかお祭りみたいに捉えている印象がある。空母炎上の報が入っても、山本長官が側近相手に平然と将棋をやっていたというのはまさに象徴的ではあるまいか。ミッドウェー海戦で、必死、真剣になっていたのはアメリカのほうであり、これでもう「勝負あった」であった。

技術差、戦力差に加えて慢心。このうち、出撃させた主力空母すべてを失ってしまった一番の要因は慢心だろう。しかし既述したように、このような慢心しやすさ、希望的観測で現実が見えなくなってしまう性向は現代日本人もいまだ持っているものである。このブログの『日本因数分解論』でも書いたとおり、日本人はどうも日本が世界一と思いたくてしょうがないらしい。そしてそう思い込めることがあると、すぐにそれに陶酔してしまって現実を見失ってしまう。この心理は、昨今の「日本スゴイ」番組や書籍の多さ、ネットでの書き込みなどにも表れており、一種の国民病という気がする。ならばこの慢心から逃れることも不可能だったのであり、ミッドウェーのような大敗北を迎えることもまた不可避だったと言えよう。

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