飛行機の時代になぜ戦艦大和を作ったか

なぜ戦艦大和を作ったのだろうかというのはよく見かける疑問である。

世界最大の戦艦、大和が完成したのは対米戦争開戦とほぼ同時だが、ふたをあけてみれば戦争は飛行機の時代になっていたので、大和は何もできないまま飛行機の攻撃によって沈められた――とそう言われているが、確かに、飛行機の時代(空母の時代)になるってことを、大和を作り始めたときに分からなかったのかと思ってしまう。

この疑問に対して一般的となってる説明もあることはある。大きくはふたつ。ひとつは、大和が作られ始めた時は、まだ飛行機は発展途上の兵器、複葉で速度の遅いものであり、戦艦を沈めることができるものなどとは考えられなかったというもの。もうひとつは、いわゆる大艦巨砲主義が当時はどこの国の海軍でも主流であったから、ワシントン軍縮条約が効果を失い、再び各国が海軍兵力の増備をはじめたとき、他国に負けない新型戦艦を作るのは当然であったというものである。

しかしよく考えたら、このふたつの説明もまたおかしいのである。

確かに大和を計画した段階の航空機戦力は太平洋戦争開始時より(ほぼ5年差)ずっと劣っていた。しかし大和が作られ始めた段階では、もう全金属性、単葉、引き込み脚機の空母搭載機は試験飛行、採用、計画が次々となされていた。あまりに有名な零戦(零式艦上戦闘機)の開発指示は大和の起工と同年であり、大和の完成より零戦は先に部隊配備されている。つまり当時、飛行機開発にはどこの国も相当の力を入れており、大和が完成するとき、飛行機がより大きく進歩していることは自明だったのだ。そもそも当の軍隊がそう計画、実行していっているのである。空母など、大和着工の前に、「これからの飛行機は高速化、大型化するので」ということで、その艦橋や煙突の位置に試行錯誤を重ねている。こんなだから、大和計画時点で空母を集中運用すれば戦艦すら撃破できると考えた人も当然いるであろう。

世界中が大艦巨砲主義だったから大和を作ったというのはおかしいというか、これはただの同義反復である。確かに事実としては日本も含め、世界はどこもいまだ大艦巨砲主義なのであった。しかしそれなら、航空戦力を充実させ、出し抜いてしまうほうが得策である。戦争というのは大抵、古い戦法、古い兵器に固執したほうが負けるからだ。

となると謎なのは、なぜ世界の海軍が揃いもそろって、今までは最強だったがもうすぐそれでは勝てない大艦巨砲主義という考えにとどまっていたかということとなろう。そもそも新兵器によりどのような戦争になるか事前にイメージできなかったということは先の第一次世界大戦より教訓として認識されていたことなのである。

もっとも世界中のトップ頭脳が雁首並べて予測を誤るなんてことがあろうか、という疑問もわく。つまり、当時はそれが本当に正しかったのだ、それを批判するのはじゃんけんの後出し、後世人の傲慢だという意見も出てこよう。

また単なる組織の硬直化が原因に過ぎないという見方もあろう。海軍はこの当時、ワシントン条約によりいわゆる海軍休日に入っていたとはいえ、依然どこの国も莫大な軍事費でもって維持される巨大な組織となっていた。組織が巨大化すると小回りがきかなくなり、抜本的な改革をうけ入れにくくなるのは、われわれが今もあちこちで経験、見聞していることである。

しかし、世界中の海軍がこの判断を誤った、もっと『合理的な』共通因子が考えられないこともないのである。

それは海軍が海軍であることにあった。海軍が海軍であることのアイデンティティのために新戦艦は建造され続けたと私は思うのだ。

つまり海軍とは『海を行くもの』であり、その一次的媒体は『船』である。船こそ海軍そのもの。ここに海軍の海軍たるゆえんがある。これは世界共通であろう。海軍の歴史のある欧米のほうがむしろ強くそう意識していたと思う。(むしろ日本は大和を作りながらも、空母建造の比率は他国より大きかった) 

伝統というか、慣習というのは恐ろしいものだ。かつて蒸気エンジンが軍艦に採用されるときですら英国海軍の司令官は反対したほどであった。しかしそれはまだ船は船であるのでよかった。

ところが『飛行機』はどうか。それは『空を行くもの』である。飛行機が兵器として採用されたときは、それぞれ陸軍と海軍に属していた。どこの国にも空軍はなかった。だから『船』の軍団たる海軍にとって、『飛行機』は従属兵器、いや『飛行機』もそれ自体は兵器でなく乗り物なのだから、従属媒体にすぎなかった、海軍にとってそれは『船』のような一次的媒体ではなかった。陸軍も使っている媒体である。

確かにその媒体は今後の海戦を有利に進めていけるものであることは、ちょっと考える頭があればわかる。だからそれを開発する、量産配備する、そしてそれを運び、発進させる空母もたくさん作る、これは当然であった。しかし空母自体は『船』であるが、直接攻撃をしかける媒体は『飛行機』なのである。海軍というものにとってそれは本家、嫡流、本質、一次媒体のどれでもないのだ。どう転んでも。

だから空母部隊黎明期のあの時点では、新戦艦の建造を放棄し、空母(つまりそれは飛行機ということを意味する)を、海軍の第一主力と位置付けることは不可能であった。精神的にというより、むしろ海軍が海軍である論理として、嘘でも、また山本五十六が言ったと言われる「床の間の飾りくらいにはなるだろう」というものであっても、戦艦は海軍の主力として絶対必要だと考えられたのだ。(ほとんど陸続きのヨーロッパでは陸戦が主体であり、飛行機はもっぱら陸軍、あるいは陸戦に属していたので、海軍はまだ戦艦重視のままでよかったといえる)

『戦艦こそ海軍の象徴』――私はこの考えは原子力潜水艦が就役する1950年代後半まで続いたとみる。海軍の主役の座は、飛行機を運ぶ空母でなく、あくまで船としてそのまま力を持つ潜水艦、とりわけずっと潜航していられる原子力潜水艦に受け継がれたのである。1950年代後半には戦艦はもう建造されなくなっていたが、世界一の海軍国アメリカにおいて、州名をつけるという戦艦の命名法が、原子力空母でなく原子力潜水艦に引き継がれたことはそのことを証立てている。(日本は原子力潜水艦を持てないので、旧国名を名付けるという戦艦の命名法は空母に引き継がれているが)

対米戦争が始まった時、当時の海軍のトップ頭脳が、「それでも最後は戦艦の撃ち合いになるよ」と心底信じていたとは思えない。トップ頭脳の人たちなのだから。実際のところ、ワシントン条約によって新戦艦を作れなかった15年間、航空機のほか、魚雷も相当に発達していっており、この期間にすでに戦艦の主役性は下がっていっていた。高速化、射程長大化した魚雷を砲戦中に発射されたら、それを回避しなくてはならない。しかし回避してたら砲撃の照準自体ができない。だからこの期間、本来なら弾着位置が見える彼我20km以内で戦うのが戦艦であるものを、それ以上の距離、つまり弾自体はそこまで飛ぶものの水平線の向こうへの射撃という無理難題を検討しなくてはならなくなっていた。そのために戦艦から飛ばした飛行機による弾着位置観測報告や、一斉射撃時の弾着の散布界(散布エリア)をせばめるため隣同士の砲をコンマ数秒ずらして一斉射撃する装置などを開発し、また敵艦の直前で落ちてその後魚雷のように水中を進むという水中弾効果を命中の皮算用に入れたりと、それらによって大艦巨砲主義者は有効な遠距離戦ができるようになった、また主砲で飛行機を落とせる空中炸裂弾の開発により飛行機にも対抗できるようになった、あるいは実際にしたとかとも述べてもいるのだが、これらがすべて役に立たないか、虚栄心による虚偽か、はたまた記憶違いだったことは第二次大戦の実戦によって証明されたことである。このような遠距離戦の空想的砲術理論、砲術システムは、大艦巨砲主義者が「もう近いうちに戦艦の時代は終わる」と気づいてたことの逆証左である。ここらは前述の「飛行機の時代が来るなど大和を作り始めた時にはわからなかった」というのも含めて、戦後になっての大艦巨砲主義者たちの虚勢、捏造であろう。この言い訳を「一次資料」と思っていまだ信じている人も多いが。

ただ、「それでも海軍というものの主力は戦艦だよ」ということは信じられていたし、それは理論的にも正しい。そして理論的に正しいからこそ彼らトップは、航空機の時代になるのは確実であろうにも関わらず、新戦艦を、戦艦大和を作ったのである。

しかしその正論はある時代のある概念内の論理的整合にしかすぎなかった。それは人間の未来予測頭脳の限界というより、海軍軍人であることの限界であった。ひとつ教訓らしきものをここから引き出すなら、それは、人間は頭脳よりもっと大きなものに支配されているということであろうか。

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