私の気づき〜幻想画家:福本晋一のブログ

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zoom RSS 真珠湾攻撃は戦略的にも戦術的にも失敗だった。

<<   作成日時 : 2019/04/21 13:05   >>

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真珠湾攻撃は、戦術的には成功だったが、戦略的には失敗だったという声が多い。しかし、私は戦術的にも失敗だったと思う。

戦略的に完全な失敗であったのは言うまでもない。完全な不意打ちにより、第二次大戦への参戦に乗り気うすな人々も多くいたアメリカ国民のすべてを怒らせてしまったからである。日本がどれほど早期講和を真剣に狙っていたかは疑問だが、ともかく真珠湾攻撃によって早期講和の目は完全になくなったのである。日本の宣戦布告が真珠湾攻撃開始の前に間に合っていたのなら問題なかったという意見にも同意できない。手順自体が正しいところで、すでにハワイの北500qにまで日本空母部隊は10日以上もかけて忍び寄っていたのだから、卑怯な不意打ちであることに変わりはなかった。最後まで和平交渉は続けられたとかも言われているが、日米双方譲らずの構えからして、それは真珠湾攻撃当日までの時間稼ぎであり、奇襲のカムフラージュにすぎなかった。

この不意打ち性の卑怯さに、あまり日本人自身は自覚が持てていない。この不意打ち性が戦術的な成功という面も成立させなくしてしまっているということについてもだ。真珠湾攻撃は、ボクシングで、ゴングを鳴らす人と手をくみ、恣意的に相手が油断したときに試合開始のゴングを鳴らし、ポカッとやるのと同じなのである。戦争においても国際条約のルールはあるものの、戦争はスポーツと違い殺し合いだからルールなどに縛られているものではないのかもしれないが、このようなことは世界の、というか、人間の通常の考え方からして非難を浴びざるを得ないものである。だからこれを「成功した戦術」とみることはできないのである。Wikipediaなどを見ると、当日ハワイにいた司令長官のキンメル氏ほか、米軍人でも戦術的に高く評価しているということが並べられているが、ほとんどは何十年も経たあとの回想録からの引用であり、いろいろな思惑、恣意が加わっていることを考慮にいれなければならない。何よりも純粋、客観的に考えて、卑怯であったかどうか自分で判断してみることであろう。

それにそもそも、アメリカは日本が宣戦布告してくるとなったら、真珠湾を空母機動部隊で奇襲をかけてくることは事前に予測していたのである。また、実際の宣戦布告は、日本本土からワシントンの日本大使館に暗号外電で送られ、それを解読したのち、アメリカ政府に手渡すことになっていたわけだが、その暗号外電は日本大使館より、アメリカの情報局のほうが先に解読していた。ただし、その瞬間、まさか本当に真珠湾が奇襲攻撃されるとはアメリカ政府も思っておらず、またハワイのほうものんびりしたもので、接近してくる飛行機群(日本軍)のレーダー探知報告を、米本土からの航空輸送部隊がレーダーに映ったのだなと判断している。つまり、真珠湾攻撃は、日本が素晴らしい戦術を成功させたというより、アメリカがかなりマヌケだったのである。日本軍、日本人をなめていたと言ってもいいかもしれない。

むしろ真に素晴らしい戦術と唸らせるのは、真珠湾攻撃の約5か月後に行われた空母ホーネットによるドゥリトル中佐指揮の日本本土空襲のほうであろう。この米の奇襲部隊は日本の哨戒艇に早々と発見されたのだが、日本側は、空母から艦上機を発進させるなら、もっと日本本土に近づかないと無理だから、米攻撃隊が来るなら翌日だろうと判断した。しかし、ホーネットの飛行甲板に並べられていたのは米陸軍の双発機だったのだ。アメリカ側も日本側に発見されたため、予定より早く発艦させたが、どちらにせよ、日本側の予測よりずっと早く空襲に来た。この日本の判断は甘いともマヌケとも言えないだろう。まさか双発機が空母から発進してくるなど考えるわけがないからだ。大型双発機は着艦フックもないし、そもそも大型すぎて空母から発艦はできても着艦はできない。だから日本本土を爆撃したあとはそのまま直進して中国本土に着陸することとなっていた。(当時アメリカは中国を支援していた)いや、発艦ですら非常な難題で秘密裏に訓練が行われた。これぞ「戦術」というものである。

しかし何より真珠湾攻撃を「成功」と言えないのは、米空母を撃てなかったことであろう。真珠湾攻撃は、当の日本空母部隊が、空母の力を世界に示した作戦だったが、敵の空母にはかすり傷も負わすことができなかった。これは、米空母がミッドウェー島とウェーク島に飛行機を運んでいて、攻撃の数日前に真珠湾を出港していたためだが、真珠湾攻撃が、敵空母のいるときに攻撃をかけれるとは限らなかった作戦であることには違いあるまい。(スパイがハワイにいたので、空母がいないことは分かっていた)となると、最初から真珠湾奇襲作戦には欠点があったわけである。空母がいたらもうけものでしかない作戦だったということだ。実際のところ、米の戦艦部隊は撃破されたが、すべて二十年も前の旧式戦艦で、それらは別に真珠湾で撃破されなくても、当分は使い道がなかった。日本の空母はたくさんいるのだから、それには米も空母で対抗するしかないし、実際そういう展開になっている。つまり、真珠湾攻撃で米空母がやられていたら、戦局は日本に当分はかなり有利になったであろうし、そこにこそ真珠湾攻撃の第一義もあったはずなのである。その第一義を達成できなかったし、それを成功させるのは運でしかなかったのだから、やはり真珠湾攻撃は成功した作戦とも、プラスになった作戦とも言えないのだ。さらにこの「真珠湾攻撃における第一義」のやり直し、つまり米空母撃破のやり直しを図ったのがあのミッドウェー海戦であり、そこで日本は惨敗(前ここで書いたようにそれは必然的惨敗であった)したのだから、その意味でも真珠湾攻撃は日本にマイナスしかもたらさなかった。

一方で、第3次攻撃をなぜかけなかったのかと言われていることに関しては、あながち間違いではないという気がする。第3次攻撃で敵の修理設備や原油タンクを破壊しておけばよかったのに、ということだが、第3次攻撃隊は新手ではなく、飛行機、搭乗員とも第1次攻撃隊の再発進なのである。当然人機とも疲弊している。そもそも第2次攻撃隊がハワイに到達した時点ではもう奇襲ではなくなっており、第2次攻撃隊の被害は第1次攻撃隊よりかなり大きいものになっている。第3次攻撃隊は第1次攻撃隊の再発進なので、第2次攻撃が終わってから相当の時間がたってからハワイに到着するのであり、そのあいだ米軍は迎撃準備を立て直せる。また第3次攻撃隊は第1次攻撃で受けた被害を鑑みると第1次攻撃より小規模にならざるを得ないため、第3次攻撃隊はもっと被害が出たのは間違いない。のみならず第4次まで出していたら、空母帰投は夕方以降になり、夜間着艦という難しいことになるのでそこでも疲弊した人機は失われた可能性が高い。空母航空隊は、飛行機も搭乗員も普通の航空部隊とは違い特殊で、発艦、着艦、航法など特別な訓練を経てなれるものだから、すぐに補充がきかないし、実際当時の日本海軍には人機とも予備はなかった。また、どうも南雲部隊幕僚は「修理設備、原油タンクを破壊する」という発想は最初から念頭になかったようだし、また搭乗員たちも設備よりは軍艦を攻撃したがるので、第3次以降の攻撃隊が出ていても、艦船を攻撃していた可能性が高い。真珠湾は浅い軍港なので艦船は浮かんでいることができなくなっても海の底のもくずと消えるわけでなく、実際アリゾナ以外の戦艦は引き揚げられ再就役している。ならば第3次攻撃以降はやったところであまり意味がなかった。第3次攻撃をしなかったことの批判は、日本指揮官への批判のための批判点を増やそうとしているにすぎないのではないか。

真珠湾を奇襲せずとも、東南アジアへの進攻を開始した日本は、フィリピン駐屯の米軍と戦火を交えずにはいられなかったであろう。つまり日米戦自体避けることはできなかった。そして日米戦えば、日本が負けることも自明であった。しかし、真珠湾攻撃がなかったら、ドゥリトルの空襲も、ミッドウェーもなかったであろうし、全体的に少しは悲惨さも差し引かれたのではあるまいかと思うのである。

もっとも当時の日本は明らかに戦争を、世界征服をやりたかったのだから、この意志のある限り、真珠湾攻撃も不可避であったのであり、この意志が日本を制圧してしまっていた限り、結局何も大して違いはなかったのかもしれない。

畢竟、日本をあの戦争の悲惨さから救うには、「この意志」の駆逐しかなかったが、それができたかどうかはまたあらためて考えてみたく思う。

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