古事記偽書説と本居宣長の純粋日本幻想

この前、『令和』という文字の並びがあるということで古事記についてふれましたが、古事記について私は以前から、ひとつの関心を持っている。それは古事記が平安時代に捏造された偽書だという説があることだ。骨董も然りだが日本史上、偽書というのは結構多いのである。

古事記偽書説はアングラのレベルではない。ゆえに「古事記を偽書と言うなどもってのほか!」という圧力も強いようである。それがまた偽書の疑いを強くしてしまっている気もするのだが。

古事記が偽書だと言われるのは、そう疑われるところが多々あるからに他ならない。その第一は、なんで同じ時期に、古事記と日本書紀と、歴史書が二つも成立したんだということであろう。日本書紀という分厚い正史があるのに、ほぼ内容が同じである薄い本の古事記がなんで必要なのか。古事記は天皇家の私的歴史、日本書紀が対外的な正史という説明が多いが、これはかなり苦しいというか、むしろいよいよ偽書だと疑わせてしまうような仮説である。

また日本書紀のほうがまったくの正史で、成立の720年以来ずっと白日のもとにあったのに対し、古事記はマイナーな存在で来た。だから、その序文に712年成立と書いてあるのも、かえって疑問を持たれてしまっている。稗田阿礼が記憶させられていた神話と歴史を紙に書き記したのが古事記で、それをベースに日本書紀が編まれたのだという筋書きに思い至らないでもないが、そんな経緯は古事記の序文にも、日本書紀にも書いてない。

私自身は古事記は偽書だと大いに疑っている。それは上記の理由もあるが、何より、古事記の存在意義があまりにある都合によくできているからだ。

その都合とは、純粋日本を信奉する人にとって心のよりどころになるということだ。

元々、日本には文字がなく、中国から伝えられた。つまり漢字である。ひらがなもカタカナも漢字から作られた。このことを知らない人はいないだろう。日本に文字が伝わってきたとき、漢字の使い方にはふたつあった。ひとつは日本語の音に合わせて漢字をあてるいわゆる万葉仮名。もうひとつは、あくまで漢文(つまり中国語)で書くことだ。公文書などは長く漢文が使用されており、漢文、漢籍を学ぶのは、日本では長く教養の第一で、それは先の大戦くらいまで続いていた。

日本最初の正史『日本書紀』も歌などはのぞき、漢文で書かれている。しかし日本書紀より成立が8年古い古事記は、基本漢文だが、万葉仮名を使った日本語が混じっている。(先日引用した『令和平其麻都漏波奴人等』などもそうである)つまり日本で一番古い本である古事記は、オール漢文ではない。日本古来の言葉(やまと言葉)が入っているわけだ。これをどういう人たちがまず喜ぶか、大体見当はつく。

大快哉を叫んだ嚆矢は言うまでもなく、江戸時代中期の国学者本居宣長であった。宣長は、稗田阿礼はすべてやまと言葉で口述したという線で古事記の研究を進め『古事記伝』なる大著をものした。それほどまでに、彼が古事記にほれ込んだのは、古事記に「純粋なる日本(やまとごころ、やまとたましい)」を見た、あると思った、思いたかったからである。彼は、漢心(からごころ)が大嫌いだったので、完全な漢文で書かれた日本書紀には関心を寄せなかった。それはほとんど屈辱ものであったからだ。

しかしこれはなんだか出来過ぎの話ではなかろうか? 漢文で書かれたもっとも古い正史より、日本語の入った本が先にあったというのは。

そうではなくて、宣長のような人間が奈良時代後期か、平安時代にいて、愛国心が嵩じて(?)日本書紀より古い日本語入りの本をでっちあげたのではないか?

実際そう考えると、内容のほうでも辻褄があうことが多いのである。内容的な古事記と日本書紀の相違点は、古事記は神話の比重が高く、国つ神大国主神の国譲りの話があり、人代(天皇)の歴史描写は時代が新しくなるほど薄く、しかも推古天皇(7世紀初頭)で突然終わっているのに対し、日本書紀は人代(天皇)の歴史に比重が大きく、またその記述も古事記とは比較にならないほど膨大で、しかも時代が新しくなるほど詳細をきわめており、推古天皇よりあとの部分で全体の三分の一が占められ、また大陸との関係記述に多くの言葉が費やされているというところである。つまり、古事記は最初から形式、内容とも神話指向、閉鎖指向であり、対して、日本書紀は中国模倣指向、実際歴史指向、世界指向なのである。書かれていることが事実かはともかく。

しかしもし古事記がそのような経緯でつくられた偽書だとしても、そこに政治的なものがあったかというとちょっと違う気がする。冒頭で、日本史上、偽書は多いと申し上げたが、実際、あまたある偽書には政治的な意味合いのものは少なく、(というか、政治的意図の偽書なら最初から権力者によって正典扱いされるだろう)、学者の遊びか、おふざけ、あるいは自己の説を裏付ける証拠として(!)書かれるものが多かったらしい。宣長にしてもそうで、宣長が生涯かけて追い求めた「純粋日本」というのも、政治的プロパガンダの性格は薄い。むしろ宣長が古事記に見たものは一種のファンタジーであったと私は思う。

実際、本居宣長はファンタジー指向の強い人であった。彼は若き日、端原氏なる架空の一族を創造し、その城下町の絵図、家系図、家臣一覧、家紋、元号まで作って、ひとりで楽しんでいた。(ちなみに古事記は特に序文が後世の捏造ではないかといわれることが多いが、私は直感的に稗田阿礼という人物に、端原氏と同じ妙な創作性を感じる)彼のもうひとつの大仕事、源氏物語研究にしてもそうだ。宣長は、源氏物語が儒教的な勧善懲悪の観点のものではなく、心情(もののあはれ)を味わうものだと指摘し、それを日本人のまことの心、やまとごころと呼んだ。芸術は宗教、思想ではなく、心情だというところまではいいとして、それをパティキュラーな日本人の心とするのは、ずれているとは思う。しかし、これにしても、何かボンボンの知的お遊び、むしろ御隠居趣味的であり、のちの軍国日本主義の政治的キナ臭さはほとんど漂ってこない。(晩年の小林秀雄が骨董趣味と同時に本居宣長に興味を抱いたというのもさもありなんと感じる) 私は『日本因数分解論』で、「鎖国」と「世界制覇」は『日本』なるコインの裏表だと言い、利休と秀吉にそれぞれの代表と、両者の関係にその葛藤を見たが、宣長はどう見ても秀吉でなく利休のほうである。

確かに宣長の晩年期ごろになると、欧州列強が散発的ながら貿易、開国を求めてやってくるようになり、危機の時代が幕を開け、宣長の「純粋日本(やまと)ファンタジー」は平田篤胤、佐藤信淵を経て、のちの世界拡張主義につながる神国日本妄想へと発展していったのであるが、宣長とそれらは一線がある感じがする。もしかしたらこれは甘い見方なのかもしれない。大日本帝国もファンタジーといえばそうだ。が、肉体的な資質に違うものを感じるのである。宣長には権力志向、暴力指向が感じられないのだ。

ならば彼を魅した古事記もまたそうではなかったか。つまり偽書かはどうあれ、古事記の本質はファンタジーなのだ。むしろ軍国主義とつながるのは日本書紀のほうであるように思う。

宣長の楽天的なファンタジー指向性は、江戸時代中期の天下泰平性が生んだものであろう。古事記が偽書なら、それはいわば同じく天下泰平であった平安時代に生きていたもうひとりの宣長がファンタジーとしてしたためたものではなかったか。ともあれ、古事記が現在も愛されているは、そのファンタジー性にあるのは間違いないと思う。
  
『第三都市 幻想画家:福本晋一ウェブサイト』
http://www7b.biglobe.ne.jp/~fukusin/
















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