フォークナーとラヴクラフト ヨクナパトーファ・サーガとクトゥルー神話

『フォークナーとラヴクラフト』などというタイトルで一文をしたためるとなると、「頭がおかしいんじゃないか」という声が、特にフォークナー・ファンのほうから聞こえてきそうである。いや、そう言われるのはまだいいほうで、おそらくフォークナーの読者はラヴクラフトなんてなじみがないだろうし、ラヴクラフトの読者のほうはもっとフォークナーなんて知らないだろう。同じ20世紀前半のアメリカの小説家同士とはいえ、かたや20世紀文学を代表するノーベル賞受賞作家、かたやサブカル的パルプマガジンの素人投稿怪奇作家だ。仕方あるまい。

しかしこのふたりを並べて論じるのは、両方の作風を知る人なら、ひざを打ってくれると思う。この両者の作品から醸し出される雰囲気は非常に似ており、その根底にある問題は同種のものと思うからだ、つまり、アメリカの暗部たる因習的側面の香りである。それを描くため架空の地域、街を創造しているところも似ている。つまりミシシッピ州ヨクナパトーファとマサチューセッツ州アーカムと。

フォークナーの代表作「アブサロム、アブサロム!」と、ラヴクラフトの代表作「インスマウスの影」がともに1936年の発表なのも因縁めいたものを感じる。それはアメリカが豊かな国、自由の国として躍進しようとしていた時期でもあり、これらの作品はその反動として出現したといえるかもしれない。実際、この2作品は、アメリカの暗部を掘り下げ、同じモチーフに達している。

すなわち、異種との混血への嫌悪と恐怖である。

もう少し具体的に、「白人にとっての」という語句をつけ加えてもいいだろう。なぜこれがアメリカの暗部を象徴するモチーフであるかというと、それは、支配層の白人自身、土着の民ではなく、遠くからやってきたよそ者(異種)であるからだ。これはアメリカという国の根本的問題ではないか。白人にアメリカを治める正統性があるのか否か?

「アブサロム、アブサロム!」も「インスマウスの影」も、何世代か前に行われた混血に悲劇と衝撃の根源があるギミックは同じである。フォークナーは黒人との、ラヴクラフトの場合は怪物との混血であるが、その同質性は疑いがない。これはアメリカ人でなければ書けなかったものだ。

一般的に言って、同種族の亜種が同居する場所では、混血は不可避である。むしろアメリカなど、よくぞあれだけ世界から異種族が集まって大して混血が進まないと驚かずにはいられないというべきであろう。混血しないのは言わずもがな差別が存在するからである。そしてこういう差別は、ある集団の閉鎖性をも意味している。白人は白人だけで閉鎖集団を作っているのだ。しかしこの閉鎖性は近親婚などまたぞろいろんな嫌悪の副産物をも生み出すことがあり、実際、ニューイングランドのラヴクラフトの母方の家系は近親婚が多かったのだという。

そう、このような集団の閉鎖性は、集団の選民意識をくすぐるが、単純に諸手をあげて歓迎できないところがある。閉塞性の鬱陶しさ。アンビバレンツ。ラヴクラフトは異人種嫌いで有名だが、彼の創造した怪物は、単に異人種の投影というより、そのような差別意識を生んだ古い因習そのものの具現というほうが正鵠を射ている気がする。つまりそれ自体が忌まわしき怪物なのだ。

言わずもがな、このような閉鎖性への固執と嫌悪、そしてそれが生む差別意識などは、日本人にもおなじみのものだ。そこに日本人がこのふたりの作家に惹かれる大きな理由もあるのかもしれない。














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