しかしその本を読んでいて気になる一行があった。つまり、ドイツではなぜ学校の部活が流行らないかというと、生徒たちが正規の授業以外のために学校に居るのをイヤがるからだというのである。
これを読んだときに私は思った。世界に冠たる残業民族日本人の出発点は学校の部活にあるのではないかと。
もちろんサッカーが好きでサッカー部に、演劇が好きで演劇部にはいることもあろうが、正直、私自身の体験を思い返しても、「部活をやれ」「クラブに所属しろ」という圧力がまずありきなのが事実だった。
実際「部活をしない子はダメになる」と思ってるオトナは多い。で、何が「ダメになる」かといえば「協調性がなくなる」とか「真面目にことを遂行しない」とか「遊び人になる」とかであろう。そして、部活は学校のカリキュラムであり、つまりは文科省、すなわち国のカリキュラムである。だから、これは最初からある効果をねらった確信犯的教育システムなのではないだろうか?
かといって、日本の学校の部活が「将来企業で仕事をたくさんさせること」を目的として行われている教育プログラムだと考えるのは短絡的であろう。そもそも、日本企業の残業というのは生産性をあげるために蔓延してることに思えない。もちろん働かされている場合もあるが、一番は、社員の会社への帰属度を上げるために行われているのである。
そしてここが部活も同じところなのだ。つまりグループへの帰属意識を生徒に植え付けることが第一義なのである。こう考えたら日本の部活がなぜ「かけもち」を絶対に認めないかも分かろう。日本では社会の安定のために、こういうふうに人を早期から固定的に分別するのが一番いいと信じられているのである。日本の部活は、必修のことが終わってもそこにいるのが当たり前――ある特定の集団に100%帰属せよ、集団の完全なピースとなれということを『体に』覚えさせるのが第一の目的なのだ。
ならば国の「残業を減らすためのなんとか改革」とやらも、このような根本から捉えて考えなおさないと何の効果もあがらないのではないか。まあ以上のことを鑑みると、そんな改革なんて見せかけだけで、やりたくないのが本音なんだろうけど。
『第三都市 幻想画家:福本晋一ウェブサイト』
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