UFOとは何だったか? その時代的正体

『UFOとは何だったか?』と過去形なのは、もうUFOの時代は終わったと思うからだ。そういうわけだから、「何だったか」と言っても、それが宇宙人の乗り物だったのか、自然現象だったのかとそういうレベルの話をしたいのではない。世界的なあの「UFOブーム」とは人間にとって何だったのかという本質的な話を考えたいのである。

実は私自身、子供時代、大のUFOファンだった。しかし、今はもう信じていない。周囲を見回しても、もうUFOにはかつての勢いはない。少なくともそれが「宇宙人の乗り物」であるなどとは信じられていない。かつては大人も含めて多くの人がそれを信じていた、というのが言い過ぎにしても興味を持っていたのにである。そう、昔は、大の大人がUFO研究会を立ち上げ、全国に会員を持ち、会誌を発行し、熱中していたのである。三島由紀夫氏や星新一氏が、日本最初のUFO研究会である日本空飛ぶ円盤研究会に入っていたのも有名な話だ。が、今やUFOを真剣な顔で語る人は、子供にさえいない。

UFOが真剣に騒がれた期間というのは案外と短く、フライングソーサー(空飛ぶコーヒー皿)と名付けられた飛行物体が目撃された1947年から1990年あたりまでの半世紀弱くらいの間である。この期間のみ「真剣」だったことはUFOの謎を解く鍵であろう。UFOブームには、時代の反映、いや「危急的」要請があったのではないかと思われるのである。

そう、実際、上記の期間は、ある歴史的状況の期間に対応している。

それは冷戦である。

もちろんこの期間は、宇宙開発の時代でもあり、そのため宇宙へのロマンや恐れがUFOブームを生んだのだという素朴な見方もできるであろう。しかし、宇宙開発もまた、米ソの競争対立の中で進展したことであった。だとするなら、米ソの対立そのもののほうがUFO現象の鍵ではなかろうか?

UFOとは何だったか? それを考えるには、まずUFOがわれわれに与えた印象を整理してみる必要がある。まず何より、それは幽霊や妖怪と同じ怪奇のものであった、われわれに恐怖を与えるものだったということである。子供向けのUFO本や矢追純一氏のスペシャル番組などは、みなそうであった。映画や漫画となると、宇宙人は地球侵略を狙っていると設定されるのが当たり前のことであった。宇宙人は友好的態度で地球に来ているのだと主張するコンタクター(宇宙人と遭遇したと主張する者)もいるにはいたが、宇宙人に会ったという話自体が不可解であり、やはり不気味なのには違いなく、むしろ、宇宙人が不気味なものであるからこそ、その恐怖への反動として友好説が中和的に出てきたというほうが当たっているかと思う。

宇宙人がわれわれに恐怖を与えるのは、不可解な謎の存在であることもあるが、それが人間の科学力を上回っている(とされている)からでもある。早い話が宇宙人のほうが強い。だから怖いのだ。幽霊や妖怪だって同じことだろう。UFOなどを作れる宇宙人と戦っても勝ち目はない。UFOはまず人類より『強大なもの』、人類を一網打尽にできるものとして設定されているのだ。

そんな怖いものをなぜ人間は新たに作り上げたのか? この謎を解くには、この謎めいた宇宙人というビーカーの液体に、先ほどとり上げた「冷戦」という物質を投与してその化学還元反応をみればよい。

そうして導き出される仮回答は、恐ろしいが架空に過ぎないUFOなるものは、逃げようのない真の現実的恐怖から目をそらすためにでっちあげられたものではないかということである。つまり、冷戦に内包される、核戦争、最終戦争、世界の終わりという人類史上もっとも恐ろしい現実的可能性を忘れんとするために発明された架空の恐怖ということ。

UFOブーム発祥の地でもあるアメリカにとって、第二次大戦後のソ連は強大な恐ろしい敵であった。ソ連との戦争も恐ろしいものであった。それは米ソとも破滅に追いやりかねない。アメリカ人はそんな存在、そんな現実、そんな可能性を一時でも忘れるために、恐ろしくはあるが存在しない別の敵を無意識裡に作り上げたのではないか。その敵は、地球上の存在であってはならなかった。なぜなら地球という現実の場所にはもうちゃんと恐ろしい現実の敵が根をはっているからである。地球人同士が反目しあって地球人が危機になっているとき、地球人以外という共通の敵になりうる敵を作り上げることほどその危機を回避する上手い精神的緊張の解決方法があろうか? 

こう考えてくると、宇宙人が友好裡に地球に来ているという発言が出てくるのももっともなことであろう。それは米ソが友好的になって核戦争を回避するという希望の反映なのだ。

核戦争と宇宙人の脅威。そういえば、ノストラダムスの1999年に空から恐怖の大魔王が降りてくるという予言も、ちょうど、この2説がささやかれていた。つまり宇宙人による地球侵略か、核戦争か。そして後者はあり得る話であった。対して、前者が荒唐無稽な根も葉もないつくり話であったのは今となっては明白である。しかし、UFOを信じている人も心の底ではそれが作り話であることを知っていたのではないか? 現実に可能性がある核戦争(世界の終わり)の恐怖に毎日おびえて暮らすなら発狂する人が続出するであろう。そうならないためにも、その恐怖を吸収してくれるものが必要だったのだ。

実際、UFOブームが去ったのは冷戦の終了と期を一にしている。1985年米ソが核不戦の合意に達することによって冷戦は終わりに向かい、直後の東側諸国の解体と、1991年の湾岸戦争という非核戦争によって(皮肉にも従来型の戦争勃発によって)幕を閉じた。UFOのブームが終わったのもほぼこのときである。もっとも核戦争の可能性はなくなったとは言えないので、UFOの話題も完全に消えたわけではないが。

以上の精神的メカニズムは、「口裂け女」などにもあてはまるであろう。塾の帰りに現れるそれは、夜道の恐怖のためというだけのものではなく、塾、いや、子供たちが初めてその存在を如実に感じたところの管理社会、競争社会、序列社会の影という圧倒的な怪物、それへの潜在的恐怖を紛らわすために生まれ、広まったものではなかったろうか?

The Cold War contained the real fear of nuclear war.
The fear of UFO was born to distract from the fear of nuclear war.
To assume that modern horror comes from space, not from the earth.

おしまい

『第三都市 幻想画家:福本晋一ウェブサイト』
http://www7b.biglobe.ne.jp/~fukusin/

















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