レイテ沖海戦 栗田艦隊の反転を擁護する

栗田艦隊のレイテ湾直前の反転といえば、太平洋戦争における、もっとも大きな謎のひとつとされているが、私は謎と思ってない。フィリピンのレイテ島に上陸したアメリカ軍を叩くために出撃した栗田艦隊は、レイテ湾の東入り口に達したとき、北方に敵機動部隊がいるという電報を受け取ったためレイテ突入をやめ、その敵機動部隊を追って北上してしまった。だが、そこに敵はいなかったため、栗田艦隊はそのまま元来た道をたどり、基地に帰投してしまった。件の電報が誰が打ったのか分からないということで栗田艦隊、謎のUターンと言われているわけだが、私はこの電報は栗田艦隊のでっちあげだと思う。

すでに西のスリガオ海峡から夜間レイテ湾に突入しようとした西村艦隊が全滅させられた報は、西村艦隊の後ろからスリガオ海峡に入った志摩艦隊からの打電により栗田艦隊にも伝わっていた。栗田艦隊と別れて行動した西村艦隊が栗田艦隊をレイテに突入させるための囮であったことは、その猪突猛進の無謀なスリガオ海峡突入からして明らかだ。しかし栗田艦隊は前日に米艦載機の大空襲を受けたため進撃が遅れ、この西村艦隊の犠牲をタイミングよく生かせなくなってしまっていた。しかも後続の志摩艦隊は同じ電信で自分たちは突入を中止すると言ってきた。この報に絶望した栗田艦隊は、レイテまでの途上で敵艦隊と遭遇したらそれと戦ってもよいという了解を軍令部から得ていた由を利用し(実際、反転直前まで、敵の小部隊と遭遇しこれを追撃していた)、架空の敵をでっちあげ、そっちに向かうようにしながら元来た同じ道をたどって退散した、というのがことの真相だと思う。そもそも作戦の主眼は、レイテ島に上陸した米軍を叩くというものなのだから、レイテ島と反対方向に現れた敵に向かうのはおかしいし、その敵が邪魔だから叩くというのなら、向かってみて誰もいなければ、再度反転してレイテ島に向かうべきであろうにそうしてない。やはり反転の時点で作戦を中止したというほかはない。この電報、そして栗田ターンが書物などでほとんど謎とされているのは、戦艦大和を含む日本軍が「敵に恐れをなした」という事実を認めたくない、広めたくない人が今も大勢いるからだ。

もちろん一部には「栗田提督は敵前逃亡した」と標榜する人もおり、栗田提督を非難、誹謗する声も存在している。しかし、私は栗田提督を作戦命令違反で糾弾する気にはならない。そもそも先から作戦と私も表現しているが、この作戦を作戦と呼んでいいかははなはだ疑問であるからだ。このレイテ沖海戦はいわゆる特攻が初めて行われた戦いでもあるが、神風特攻隊に限らず、最初から「もう日本の敗北は見えた。武器を残したまま降伏するのは日本海軍の伝統が許さない。全員戦って華々しく死んで来い」という考えに基づいた作戦、というか命令だからだ。将棋であれば、レイテ沖海戦の4か月前に行われた総力戦、マリアナ沖海戦に完敗した時点で投了するのが当然であった。

「死んで来い」でも命令である限りは命令であり、「レイテに突入せよ」が命令ならそれを完遂しなかったのは軍人としては失格だという意見も聞くが、それは平和時代の人間が理想論に酔っているだけで、思い上がってるように思う。あるいは、上への服従を幼い時から叩き込まれる日本人は、そういうモラルが身についてしまっている――というかそれに自分たちががんじがらめになっているので、それに背いた人間をいじめたくなってしまうだけではないか。 それともゲーム的に戦艦大和に米戦艦との撃ち合いを演じてほしかっただけか。しかしここで大和が負けていたら、「史上最大最強の戦艦」の称号も今ほどではなかっただろう。

ともあれ、実際、軍令部でもレイテ突入作戦を、なんらかの勝算あるひとつの生きた作戦として捉えてはいなかったことは確かであると思う。それはこの海戦後、栗田提督が処罰されなかったことからも明らかだ。これがきちんとした戦略思想にのっとったひとつの作戦であれば、いかに身内の落ち度をナアナアでかばいがちの日本海軍上層部であろうと、栗田提督は何らかの処分を受けていたはずである。また栗田艦隊のみならず、志摩艦隊も反転、帰投しているのだ。志摩艦隊は小戦力だったから西村艦隊の全滅を見て「自分たちではいよいよ歯が立たない」と撤退したのは仕方がないと言われるかもしれないが、それなら、アメリカ軍のほうが全体として圧倒的に戦力上位なのは最初から分かっているのだから、栗田艦隊の反転も同じことではなかろうか? 実際、レイテ湾にいた米海軍は水上艦の種類ごとの数だけでそれぞれ、レイテ湾突入直前(つまり反転時)の栗田艦隊のほぼ2倍だった。その上に制空権はアメリカにあったのでアメリカは他部隊の空母からの飛行機攻撃も繰り出せた。これではたかが一隻の大砲が大きい戦艦がこっちにいたところでどうしようもない。

この作戦、栗田艦隊をレイテ湾に突入させるための囮は西村艦隊だけではなかった。すでに「飛行機のない空母」の艦隊となった小沢艦隊は、はっきりと全滅覚悟の囮であったし、初出撃となった神風特攻隊も栗田艦隊突入の補助であった。ここまで囮だらけなら、当の栗田艦隊の中の戦艦武蔵もやはりよく言われるよう被害担当艦だったのだと思う。(基地を出港する直前に明るい色にペンキを塗りなおしたという)確かにこれら囮として犠牲になった人たちは痛ましい。これらの犠牲を無駄にしたということで栗田提督を誹謗する人もいる。しかし栗田艦隊がレイテ湾に突入しても、多少の損害はアメリカ軍に与えていたにしてもやはり全滅していただろうし、最終的にアメリカのフィリピン占拠を挫くことも、戦争の大勢を変えることもできなかっただろうことは明らかなのだから、無駄にしたということであれば、この作戦自体がすべて無駄、無理強い、栗田艦隊も含めて、すべてが犠牲に供されただけなのである。

何の犠牲に?

海軍上層部のメンツ、「わが大日本帝国海軍は最後の一艦、最後の一水兵になるまで戦うのだ」というナルシスティックなメンツである。いやそれすら本音ではなく、ただ自分たちの組織の少しでもの存続、すなわち軍部瓦解の日を先延ばしにしていただけ、いやもっと明確な表現でいうなら、日本の集団にありがちな組織的惰性に流されていただけだというのが正確だと私は思う。他の選択肢を持たない一元支配制度社会の末路だ。

最後に、栗田提督の擁護点をいまひとつあげよう。作戦というものはその順序、構造として、第一段階にある囮部隊はその囮行動を中止するのはその後の段階、その後の部隊が控えているので心理的にしがたいが、作戦の最終段階である栗田艦隊のレイテ湾突入のような場合は、心理的にしやすくなるということである。すなわち、西村、小沢両提督は「主力の栗田艦隊のために自分たちは囮任務を果たす」と決意しやすいし、それをやめるという行動もとりにくい。仮にこの作戦全体が意味がないと理解していても自分たちに割り振られた役目を放棄することはしがたいのだ。しかし栗田提督にはその後の部隊がないので、作戦そのものの目指すところだけが重くかぶさってくる。しかし再三言うようにそのかぶさってくる作戦は作戦と呼べる代物ではなく、ほぼ狂気の沙汰だった。となると「なんでこんなバカな作戦のために数万の兵を死なせなくてはならないのか。中止したところで生き残った人間の誰が困るというのか」という考えが自然と表面に浮きあがってくる。いわば、栗田提督はこの作戦の無駄さをまざまざと感じることができる、かつそれを放棄できる立場にいた。そういう意味では栗田提督も貧乏くじを引かされたと言えるところがあるのではないか。

『第三都市 幻想画家:福本晋一ウェブサイト』
http://www7b.biglobe.ne.jp/~fukusin/











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